男女共にちやほやされたいのは当然の心理!ちやほやされたいのを治すべきだというのは本当か?

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ぼくたちはかつて、誰も彼もがちやほやされ続けた。

男女共にちやほやされたいのは当然の心理!ちやほやされたいのを治すべきだというのは本当か?

・ちやほやされたいのを治すべきだというのは本当か?
・赤ちゃんはみんなちやほやされる
・大人たちを魅了する「ベビーシェマ」の特徴
・「幼児的万能感」から「相対的部品感」に支配される人生へ
・「幼児的万能感」があるからこそ「相対的部品感」は成立する
・「幼児的万能感」を信仰する重要性と真実の幸福への道

・ちやほやされたいのを治すべきだというのは本当か?

ちやほやされたい、モテたい、愛されたい、注目されたい、目立ちたいというという強い願望を、あなたは抱えながら生きているだろうか。人間なら誰もが多かれ少なかれ、心の底でそのような感情を秘密で隠れて持っているのかもしれないが、その感情が異様に強すぎるあまり社会で生きづらくなり、ちやほやされたい自分を治したいと願っている人々も中にはいるようだ。

確かに「私はちやほやされたいです」「私はモテたい!」「私は誰からも愛されたい」「注目されたいよー!」「目立ちたいなー」なんて堂々と言い放つ人があればドン引き案件でかなり厚かましいかもしれないが、言わないだけで密かにそのように小さく願っている人はこの世の中に溢れているのではないだろうか。本当にちやほやされたいと感じてしまう自分を、治す必要などあるのだろうか。

 

 

・赤ちゃんはみんなちやほやされる

人間は誰しも、赤ちゃんとしてこの世に生まれてくる。赤ちゃんじゃない人間として生まれてこない人はこの世にいないだろう。生まれたてでいきなり中年のおじさんでしたとかそんなことはありえない。誰もがこの世に天使のように可愛らしく、愛らしい赤ん坊として生を受けるのだ。

赤ちゃんが生まれた家庭を見ていて思うことは、みんな赤ちゃんにすっかり夢中になるということだ。家庭は赤ちゃん中心となって回り、常に赤ちゃんは注目され、気遣われる。ちょっと泣いただけでもすぐにお母さんが駆けつけて抱っこしてくれるし、ちょっと笑っただけでも学校で100点満点をとるよりも褒めてくれる。大人たちは常に赤ちゃんのことを念頭に置き行動するようになり、大人たちのすべての時間は赤ちゃんのために捧げられていると言っても過言ではない。それほどまでに赤ちゃんには人を夢中にさせ、注目させてしまうような魅力が溢れているのだ。

 

・大人たちを魅了する「ベビーシェマ」の特徴

赤ちゃんに夢中になってしまうのは何も人間だけではない。動物全体で言っても赤ちゃんは大人を夢中にさせるある特徴を共有しているらしい。その特徴は「ベビーシェマ」と呼ばれ、具体的には体に対する頭の大きさの割合が大きい、顔より頭蓋のほうが大きい(大きい額)、目が大きく丸くて顔の中の低い位置にある、鼻と口が小さく頬がふくらんでいる、体がふっくらして手足が短くずんぐりしている、動作がぎこちないというものが挙げられる。

動物の大人にとって目が話せない魅力的な特徴というのは決まっており、動物の赤ちゃんたちはその「ベビーシェマ」の特徴を併せ持つことによって、大人たちから大きな注目を集め、ちゃんと大きくなるまでお世話してもらえるように仕組まれているのだ。その点でいえば、人間だって動物だって全く違いはないと言える。

 

・「幼児的万能感」から「相対的部品感」に支配される人生へ

赤ちゃんは周囲の大人たちから注目され、気遣われ、ちやほやされ、愛され、目立つようにきちんと運命的に定められているのだ。そんな赤ちゃんが、大人たちが自分のためになんでもかんでもしてくれるのを見て、世界は自分中心に回っていると感じるのは当然のことではないだろうか。自分は世界の王様であり、自分以外は自分のしもべであり、世界も人間もすべて自分の思い通りに動いて当然であるという「幼児的万能感」を赤ちゃんや幼児が抱くのは当然の成り行きであり、自分を誰とも比べることがない絶対的な存在として自分を世界に君臨させながら、赤ちゃんの世界観は形成されていく。

ぼくたちは次第に社会へと引っ張り出され、成績や運動能力、外見などによって自分を他人と比較され、相対化され、自分は絶対的な王様ではなく、ただの単なる平凡な人間の一部なのだと教え込まれることとなる。自分は絶対的な存在ではなかったのだ、自分は選ばれた人間ではなかったのだ、自分は特別な人物ではなかったのだという世間からの植え付けが、自分の中の「幼児的万能感」と拮抗し戦争を起こしながらも、大人になるにつれて次第に「幼児的万能感」は抑圧され、抑え込まれ、心の片隅へと押しやられ、人間は相対的な存在へと没落させられ、社会の部品として組み込まれていく。

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ここではその状態をぼくの発明した造語で「相対的部品感」と呼ぶことにする。「相対的部品感」とは、「幼児的万能感」の対極にある言葉だ。「幼児的万能感」は他の誰とも自分を比べてない絶対感を持っている。それに比べて「相対的部品感」では常に他人と自分を比較しながら、他人の目を気にしなければ自分という存在を認識できない。「幼児的万能感」はそれゆえに自分自身を大いに表現しながら「全体」として生命を生き抜く存在となるが、「相対的部品感」は社会の部品として自分の生命の時間を犠牲にしながら他人の役に立つことが正しいと思い込んでいる存在だ。一般的にいえば「幼児的万能感」は赤ちゃんや幼児のもの、「相対的部品感」は成熟したように見える大人のものと言うことができるだろう。

 

・「幼児的万能感」があるからこそ「相対的部品感」は成立する

では成熟した大人たちは赤ちゃんや幼児の時に持っていた「幼児的万能感」を綺麗さっぱり手放して、捨て去って、その代わりとして「相対的部品感」を手に入れたのだろうか。いや、そうではない。過去に壮大に生命を支配していた「幼児的万能感」をしっかりとした根本的な土台として、その上から後付けで「相対的部品感」を上乗せしただけだ。

すなわち「幼児的万能感」は成熟した大人の中にさえ厳然と横たわっており、潜在的に大人を支配し続けている。もう「幼児的万能感」なんか持っていませんよ、自分は成熟した大人として「相対的部品感」しか持っておらず、社会の部品として身の程をわきまえて大人しく稼働しますよというような澄ました顔をしていても、必ずその人の根底には「相対的部品感」を成立させるための「幼児的万能感」が眠っている。

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「幼児的万能感」なしの「相対的部品感」なんてありえない。人間は赤ちゃんの時に育んだ、自分こそが世界の中心だという傲慢でわがままでなりふり構わず他人を都合のよいしもべとして喚き散らすような「幼児的万能感」があるからこそ、それを生命の土台として、自分の願望や欲望を抑圧して社会や集団のためにおとなしく都合よく従事するために必要な「相対的部品感」を発揮できるのだ。見た目は社会適合者に見えるような成熟した大人でも、本当は心の奥底では社会不適合で自己中心的な「幼児的万能感」を隠し持っている。ただ生きていくための「幼児的万能感」を抑え付けられているかどうかの問題だ。抑え付けられているからといって自由気ままに暴れまくる「幼児的万能感」を持っていないということにはならない。

 

 

・「幼児的万能感」を信仰する重要性と真実の幸福への道

「幼児的万能感」の中には当然のように、ちやほやされたい、モテたい、愛されたい、注目されたい、目立ちたいという感情の種が潜んでいる。赤ちゃんはちやほやされて、愛されて、注目されて、自分が世界の中心にいて当たり前なのだ。周囲の大人たちがそのようにふるまうのだから、赤ちゃんがそのように信じ込んでしまうのは何ひとつ悪いことではなく当然の結果である。

この世に赤ちゃんとして生まれついた人生の初期段階で、自分が泣けば大人たちが飛んでくるし、抱っこして様々な場所へ都合よくつれて行ってくれるし、オムツが汚れたら替えてくれるし、自分が世界の王様だと思い込むことは当然の成り行きである。世界は自分中心に回っているのだ、誰もが自分に注目しているのだ、誰もが自分の言うことを聞いてくれるのだ、誰もが自分の都合のいいように動いてくれるのだと信じる「幼児的万能感」を人生の最初の最初に形成し、人間なら誰しも自らの内に隠して持っている。

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だから「ちやほやされたい」「モテたい」「愛されたい」「注目されたい」「目立ちたい」と感じることは気持ち悪いことや異常ではなく、人間として正常な状態である。それを治そうと頑張ったり、それを悪いことや敵だと思い込んで攻撃することはよくない。なぜならそれはあなたの根底であり、あなた自身に他ならないからだ。重要なのは世間がいくらそれらの感情を異常だとか有害だとか噂しても、そんなまやかしの洗脳に紛らわされることなく、自分の「幼児的万能感」を受け入れ、愛してやることだ。

「ちやほやされたい」と噂している世間の人間たちも、必ず「ちやほやされたい」という感情を隠しながら生きている。「幼児的万能感」を土台とせずに生きている人間はこの世にいないからだ。誰もが赤ちゃん時代にちやほやされた経験を持っており「このように周囲からちやほやされるのが当たり前なのだ。自分こそは世界の中心で絶対的にちやほやされるべき人間なのだ」と固く信じる「幼児的万能感」を持っている。それは自分では忘れ去っていても、例えばキリスト教徒が絶対的に揺るぎなくキリストを信仰しているように、まさにそのようにして有無をいわさずぼくたちは誰もが「幼児的万能感」を根源で信仰している。その信仰ができなくなった時や、世間の洗脳に惑わされてそれを見失った時、人は相対的世界に迷い込み、幸福感を喪失する。

揺るぎない幸福のみなもとは、人間の根源としての「幼児的万能感」なのだ。それをないがしろにしたり、喪失したり、手放したりしろと人間社会から命令されることにより、人間は全体として美しく生きることを妨げられ、自分を犠牲にして集団のために都合よく稼働するだけのおとなしく従順な部品となっしまう。そして揺るぎない幸福のみなもとを断ち切られたぼくたちは、本当に求めるべき真実の幸福の正体もわからずに、人と比べることでしか手に入れられない愚かな相対的幸福をつかまされ、迷妄の世界でさまよい続ける。

「ちやほやされたい」「モテたい」「愛されたい」「注目されたい」「目立ちたい」という純粋な気持ちは、尊い「幼児的万能感」の息吹だ。決してそれを悪いものだとか、敵だとか、病気だとか、異常だと言って、自ら破壊する行動へと足を踏み入れてはならない。人間社会や集団はそれを破壊するようあなたを操ってくるだろう。しかし真実の幸福を取り戻したければ、あなたの中に住む「幼児的万能感」を信仰する本来の自分自身を取り戻すことだ。世の中をふり向いてはならない。世の中のことなどふり向きもせず、ぼくたちは真実の幸福へ足を進めよう。

 

 

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