夢は夜見るものだというのは本当か? 〜夢には2つの意味がある〜

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夢には2つの意味がある。

夢は夜見るものだというのは本当か? 〜夢には2つの意味がある〜

・夢には2つの意味がある
・夢の中で見る無秩序な映像としての「夢」
・将来の夢についての過去の考察たち
・「夢」はなぜ全く異なる2つの意味を合わせ持つのか
・日本語でも英語でも「夢」は2つの意味を持つ不思議

・夢には2つの意味がある

「夢」という言葉を聞くと、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。ぼくたちが眠っている間に無意識のうちに見る、さまざまに無秩序に巡っていく不思議な映像のことだろうか。それとも将来や未来に、ぜひとも叶えたい願いや欲望や希望のことだろうか。

 

 

・夢の中で見る無秩序な映像としての「夢」

「夢」というのには大きく分けて2つの意味がある。しかも、その2つともが人間にとって極めて親密で著しく重要な意味を持つ。ひとつはぼくたちが眠っている間に、勝手に映画のように流れる、突拍子もなく論理的でもない不思議な脳内映像。眠りのうちに夢を見たことのない人というのは、おそらくこの世にいないだろう。

夢というものは大抵めちゃくちゃな物語で、ありもしない幻想的な建物に入り込んだり、自由に空を飛んでいたり、見知らぬ荒野に立ち尽くしていたり、行ったこともない異国を彷徨っていたり、とにかく夢の中では何が起きても不思議ではなく、時間と空間さえ取り払われ、今日の次に昨日が訪れることもあれば、海の底の青い世界から次の瞬間には山の頂上の白い雪原へ移動していることすらあり得る。

とにかくぼくたちが生きている現実世界とはあまりに異なり乖離があるので、夢を見ている際にはこれは夢だと気づきそうなものであるが、ぼくたちはこれは夢だと気がつくことは少ない。それどころかはっきりと夢を見ていたことは確かに覚えているのに、目覚めると波が引いていくように急速に夢の記憶が遠のいていき、その日の夜には朝見た夢の記憶なんて1mmも残らないことは不思議なことだ。

そうかと思えば完全に現実世界から離れているわけではなく、聞こえてくる言語は日本語だし、自分というものは自分として認識しているし、無意識とは言えどその世界観はこの一生のうちに経験したものに限られており、夢の世界は現実世界を根として無秩序に成長し膨張したもののように感じられる。それとも夢の奥底では、一生すら超えて前世の世界さえ見えるということもあるのだろうか。

 

 

・将来の夢についての過去の考察たち

「夢」のもうひとつの意味は「将来の夢」などという用語でも頻繁に使われ、将来になりたい職業や未来に叶えたい希望のことを指す。この意味でも「夢」も、眠りの中で見る「夢」と同様、ぼくたちの日常生活でかなりよく使われている。

こちらの「将来の夢」については、このブログみずいろてすとでも何度か言及している。世の中では子供達に「将来の夢は何ですか?」と聞くことが非常に多くそれは微笑ましい光景かのように思われるが、実は「今」という瞬間瞬間を燃え盛るように生き抜いている子供達に向かって無理矢理「未来」に目を向けさせるのは、煩悩と、そして自分は部品だという思い込みを植え付ける結果になるのではないかと危惧した。

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また、安室ちゃんの記事では彼女の引退曲「Finally」の歌詞に着目し、ずっと夢を叶えることの重要性を歌で説き続けてきた彼女が、最後の最後に「夢を見ることをやっとやめられる、この日をずっと願い続けてきた」と歌ったのはなぜだろうと考察した。「夢」とは人の世では美しく使われがちな用語だが、ただの果てのない苦しみを生み出す人間の煩悩ではないのか。

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次の記事ではさらに思考を発展させ、「夢」という言葉が世の中で美しく語られているのをいいことに、それを利用して人々に必要のない浪費をさせ、小賢しく金を儲けている多くの人々の気配について書き綴った。夢とは本当に美しいものだろうか。浮世で言われている「夢」とは、実は偽物なのではないだろうか。その人が強く願えば、この世では、たとえそれが人殺しであろうと、その物語の中ではその人の大切な「夢」だった。

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・「夢」はなぜ全く異なる2つの意味を合わせ持つのか

しかしぼくはずっとこの「夢」という言葉が2つの重要な意味を持つことに違和感があった。眠りの中で見る「夢」も、将来の「夢」も、人間にとって非常に重要な要素で多用される言葉だ。この2つは全く別の種類の概念であることに間違いはなく、むしろ同じ「夢」というひとつの言葉、ひとつの漢字でまとめられていることが不思議なくらいだ。一体どうして、眠りの中で見る無秩序な映像と、未来に叶えたい希望とが、同じ「夢」という言葉でまとめられてしまっているのだろうか。

そんなことは実際、昔の言葉を発明した古代日本人に聞くより他なく、この場で考えても埒のあかないことなのかもしれない。月がなぜ「つき」と言うのか、日はなぜ「ひ」というのか、目はなぜ「め」というのか、それくらい根源的な質問なのかもしれない。

 

 

・日本語でも英語でも「夢」は2つの意味を持つ不思議

けれどよくよく考えてみれば、日本のアーティストにドリカムというのがいるが、「dreams come true」=「夢が叶う」という風に、英語でも「dream」は眠りの夢と将来の夢の両方の意味を含んでいるのだ。

こうしてみるとますますわけがわからない。日本語だけの現象ならばまだ、たまたまかもと片付けられたものだが、英語まで「夢」の中に「眠りの中の無秩序な映像」と「未来における希望」の両方の意味がまとめられているなんて、全人類にとって「眠りの中の無秩序な映像」と「未来における希望」は全く同じものなのだろうか。今ふと立ち止まって考えてみても、この2つは全然違うもののように感じられるのだが、古代言葉が発明された頃の人々には、これらが同じ概念を持っていたのだろうか。今回の記事では全く答えは出ないので申し訳ないが、なんとも不思議な人間の謎だと思うのだ。

 

 

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