孔雀明王の意味と歴史を徹底解説!怒らない明王がいるというのは本当か?

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高野山の孔雀明王は美しすぎる!!!!!

孔雀明王の意味と歴史を徹底解説!怒らない明王がいるというのは本当か?

・明王というものは大抵怒った憤怒相をしている
・ぼくが人生で見た中で最も美しかった仏像は高野山霊宝館の「孔雀明王」
・孔雀明王は世界で最初に登場した明王だった!
・大分県の熊野磨崖仏の不動明王は優しいお顔
・不動明王のその他の記事はこちら!

・明王というものは大抵怒った憤怒相をしている

ぼくは不動明王が大好きだ。赤々と燃え盛る炎を背後にたたえながら怒りの表情で世界を睨みつけるその独特のたたずまいは、まさに自分の中の正体不明の怒りの感情と激しく共鳴する。ぼくは自らの根源に何か燃え盛る炎のようなものを生きながらにして常に感じているが、その正体が一体何なのか表現する言葉を未だに知らない。

それでもぼくは喜怒哀楽の中で、怒りが最も美しいと感じている。それは誰か特定の人を憎んだり恨んだり妬んだりする卑小な怒りではなく、もっと世界に向かって発散される人間として誰もが持っているはずの根源的で野生的で直感的な透明の怒りだ。ぼくはそのような清らかな怒りの感性を、不動明王にも感じずにはいられない。ぼくと同じように自分の中に何らかの荒々しい怒りを感じる日本人が多いからこそ、こんなにも日本各地で不動明王が信仰されているのではないだろうか。

不動明王のみならず「明王」と名付けられている仏像は、大抵怒りに燃えた憤怒の表情をしている。仏の教えに従わない衆生を、大日如来の教令を受けて力ずくても強化する役目を果たすためだと言われている。どの明王も怒りに燃えているその姿が美しくぼくは心惹かれてしまうが「明王=怒っているもの」という固定観念がどうしてもある分、そうではない明王像を見かけたときには驚きと感動もひとしおである。

 

 

・ぼくが人生で見た中で最も美しかった仏像は高野山霊宝館の「孔雀明王」

ぼくがこれまでの人生で最も感動した仏像は何かと問われたならば、迷うことなく和歌山県高野山の霊宝館で見た「孔雀明王」の像だと答えるだろう。この孔雀明王は期間限定の特別展示として設置されていたものだが、本当にこの世のものとは思えないくらいに美しかった!鎌倉時代の天才仏師・快慶の作品だという。仏教的美術館である霊宝館は全館写真撮影禁止でそのとてつもなく美しい姿を写真に収められなかったのは残念なことだが、撮影できなかったからこそ心に強く焼き付いてしまい、今でももう一度見られたならばと願ってしまうくらいに衝撃的な美しさだった。高野山霊宝館の孔雀明王は、絶対に人生で一度は見るべき仏像だとぼくは思う。

さてその孔雀明王だが、孔雀の上に明王が乗っているという巨大な仏像だった。この孔雀の体の模様が細やかで繊細でさらに黄金色に輝いていて本当に美しかった。孔雀はどんなに毒のある生き物を食べても消化してしまう力を持っていることから、古来よりインドで神聖な動物として扱われていたようだ。インドでは昔からコブラなどの毒蛇に悩まされていたが、孔雀はこれを食べてくれるのだという。毒蛇は仏教的に煩悩や穢れだと考えられていたことから孔雀はより一層の霊力を持っていると見なされた。また雨季になると甲高い声で鳴くため雨季の到来を伝え、雨をもたらしてくれるとも考えられたという。孔雀は現在でもインドの国鳥として大切にされている。

神格化された孔雀という動物に乗る、神聖な孔雀明王。そのあまりの美しさに見とれてしまい鑑賞時は何とも思わなかったが、後からとても不思議に思ったことがある。なんとこの孔雀明王は、明王と名付けられているのに全然怒っていなかったのだ!怒っているどころかその他の普通の仏像のように穏やかな表情をたたえていた。

孔雀明王が怒っていないのは、インドでは古来より孔雀明王が女神だと考えられていたためだという。したがって本来ならば「孔雀明妃」と書くべきところだが、当時中国では女性神の信仰が定着していなかったことから男性的な「孔雀明王」という翻訳をあてがわれたということである。他の全ての明王は怒っている男性ということになっているらしい。

この孔雀明王が女だから怒っておらず、他の明王は男だから怒っているという説明は本に書いてあったことだが、ぼくはこの意見をちょっと疑問に思う。男と女だったら、男の方が怒りやすいというのは本当だろうか。日常生活を観察していても、感情的になって荒々しく怒る傾向があるのは女性のように見受けられるが果たしてどうだろうか。ぼくは女性が感情的になって激しく怒り、男がそれを黙って大人しく聞いているという場面をしばしば目撃するように思う。しかし通説では女神だから孔雀明王は怒っていないということになっているらしい。

 

・孔雀明王は世界で最初に登場した明王だった!

孔雀明王は、明王の歴史においても非常に重要な位置を占めている。なんと世界で初めての明王は孔雀明王だというのだ!明王は5世紀後半〜8世紀にかけて順次登場指摘仏教世界の尊格だが、その中でも5世紀後半〜6世紀にかけて最初に登場したグループが、インドの精霊神・夜叉(もしくは薬叉)に起源を持つ孔雀明王と不動明王だという。

夜叉とはブッダが涅槃に入ったおよそ2500年前にインドの民衆の間で信仰されていた精霊神だ。この夜叉が仏教界に取り入れられると「ヴィドャー・ラージャ」となった。言葉の呪力を持つ王者という意味だ。それが中国に渡りヴィドャー=明、ラージャ=王で明王と呼ばれるようになったという。つまり明王の本来の意味とは、言葉の呪力を持ったものたちの王者だという。

夜叉から派生したヴィドャー・ラージャの流れをくむ明王の中で、まずは孔雀明王が登場し、やや遅れて6世紀に入って不動明王が登場したという。つまり孔雀明王は明王界の先駆者だったということだろう。あんなに怒りまくっている明王界の最初の登場人物が全く怒っていない美しい孔雀に乗った仏であるというのは面白い話である。

 

 

・大分県の熊野磨崖仏の不動明王は優しいお顔

またぼくは「日本海沿いを北上する旅」「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅の中でも神秘的な怒らない不動明王に出会った。それは大分県の熊野磨崖仏の不動明王である。磨崖仏とは自然の崖や岩にそのまま仏が彫られている仏像のことだ。大分県が面白いのは、この磨崖仏が豊富にあるからである。なんと日本の7割の磨崖仏が大分県にあるというから驚きだ!

熊野磨崖仏は巨大な大日如来と不動明王が2つ並んで崖に刻まれている大迫力の聖域だ。伝説によると718年に仁聞菩薩が設立したもので、大日如来は6.8m、不動明王は8mとかなり巨大である。この巨大さだけでも心から圧倒されるのに、さらに珍しくて興味深いのは、この不動明王が憤怒の表情ではなく柔和な慈悲相をしていることだった。もしかしたら最初作った時は怒った顔をしていたけれど1000年以上の時を超えて怒りの表情が雨風に削られて優しいお顔になってしまったのかもしれない。しかしそれならそれで、屋外に野ざらしで置かれるしかない磨崖仏特有の現象だと思われて感慨深かった。

大日如来と怒らない不動明王!巨大岩石に刻まれた大分県の「熊野磨崖仏」の迫力と深い歴史に圧倒された

ぼくが人生で怒っていない明王を見たのは、孔雀明王と熊野磨崖仏の2つだけだった。他の明王が激しく怒っている分、怒っていない明王を目撃するとやけに印象に残ってしまうから不思議だ。これからも興味深い好奇心くすぐられる仏像に、この人生一体あといくつ出会えるのだろうか。

 

 

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