美輪明宏「給料は我慢料なのよ!」労働は苦痛で辛いものだというのは本当か?

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美輪明宏「給料は我慢料なのよ!」労働は苦痛で辛いものだというのは本当か?

・YouTube動画で見た美輪明宏の労働観「給料は我慢料なのよ!」
・医師として病院で労働することを通して、確かに給料は我慢料だと実感した
・労働=嫌なもの=我慢するものという世の中の意見に対する違和感
・世界一周+日本一周の旅の先で、ぼくはコロナワクチンバイトへと辿り着いた
・旅人のぼくにとってコロナワクチンバイトが楽しくて仕方がなかった3つの理由
・やりたくてやりたくて仕方がないコロナワクチンバイトを、ぼくは「天職」だと感じた
・なぜぼくは天職を発見することができたのか?
・燃え盛るように直感に従って生きれば、やがてふさわしい軌道へと魂の線路は転轍される

・YouTube動画で見た美輪明宏の労働観「給料は我慢料なのよ!」

学生の時に何となくYouTube動画を見ていると、美輪明宏さんが一般人のお悩み相談を受けるという内容の番組がアップロードされていた。仕事が長続きしないということでお母さんと一緒に美輪さんの元へ相談に来た30歳男性に向かって、美輪明宏さんは「お給料っていうのは我慢料なのよ!」と吠えていた。番組の中の彼(彼女?)の主張は以下の通りである。

給料って何だかわかる?我慢料なのよ!

これだけ働いたからこれだけ貰うのは当然だというのは大間違い!上司に怒られ、お得意様にワガママ言われ、同僚から足引っ張られ、恥をかかされ、は〜やりたくないやりたくないと外回りさせられ、足も膨れ上がって靴だって擦り切れてマメだらけ、それでもまぁ食べるために仕方ないと、調子の悪い日に行っても散々いじめられても我慢して、生きてちゃいけないような罵詈雑言を浴びせられて、それをじーっと我慢して、よく1ヶ月我慢しましたね、はい我慢料!

お給料っていうのは我慢料なのよ!世の中それで成り立ってんの!

美輪さんのその言葉を聞いて労働ってなんて大変なんだろう、社会人ってなんて残酷なのだろうとまだ働いたことのない学生のぼくは見知らぬ将来の労働の世界について恐ろしく思わずにはいられなかった。

 

 

・医師として病院で労働することを通して、確かに給料は我慢料だと実感した

医学生としての勉学の期間を終え、ついにぼくも医師として病院で労働する期間が始まった。病院での労働は美輪さんが言っていたほどにひどい有様ではなかったものの、夜も全く眠れない夜間救急当直を毎週課せられたり、その翌日も眠らせてもらえることなく通常の勤務を強いられたり、上下関係という東アジア的儒教システムの中で上司から理不尽なふるまいをされたり、逆に部下が自分の意見を率直に主張しただけで上司への反抗だと見なされたりして、「給料は我慢料である」という美輪さんの言葉の意味が手に取るように分かったような気がした。

特にぼくが嫌だったのは夜間の救急当直だ。ぼくは健康的に自分の体をなるべく大切にしながら生きていきたいという信念を持っていたので、夜ぐっすりとよく眠るという人間として当然与えられるべき基本的な権利を奪われることに巨大な違和感を抱かずにはいられなかった。地域の人々の健康が医師の健康や睡眠の犠牲の上に成り立っているというその構造がそもそも異常なものだと感じ、納得のいかないその構造の中に組み込まれることが苦痛だと感じた。医師が自分の健康すら大切にできないのに、果たして他人や社会や地域の人々の健康を守れるのだろうか。他人の健康を守るためには、まず自分の健康を最優先して確保すべきではないかと思わずにはいられなかった。

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またぼくは目上目下・先輩後輩などという、年齢や学年で人間に優劣をつけるという浅ましい制度が大嫌いだった。しかし儒教的観念に支配された東アジア国家である日本の社会は、完全にこの上下関係を基盤として成り立っている。ぼくたち日本人は中学生になるといきなり、年齢や学年が1つ違うだけで目上に向かって尊敬の念を抱くことを強制され、また逆に目下に向かって大いに見下すことを許される。人間は誰もが平等であり誰もが同じ価値を持ちながら生命を生き抜いてくはずなのに、なぜこのような意味不明な偽物の尊敬を植え付けられなければならないのだろう。人間にとって尊敬の念とは、年齢や学年を基準にするような思考停止の産物ではなく、人々との交わりの中で自発的に生まれくるもっと神聖でかけがえのない感情であるべきではないだろうか。ぼくはこの上下関係のシステムを、人間を社会の部品や歯車や奴隷へと作り替えるための支配者にとって都合のいい道具だと見ている。

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偽物の上下関係の風潮は学生時代だと特に体育会系の部活などで顕著に見られるが、社会に出てみると全ての組織がこの濃厚な上下関係の思想に洗脳されている。何も考えずにぼんやり生きている人ならば問題ないかもしれないがぼくは物事を突き詰めて考えるタイプの人間だったので、納得のいかない偽物の上下関係の世界で生きていくのは大きなストレスでしかなく、もっと純粋に真っ直ぐに真実の尊敬の念を抱きながら人間関係を構築できたらいいのにと願っていた。そのような観点から言っても、ぼくにとって社会を生き抜いた上で受け取る給料はやはり”我慢料”だった。

 

・労働=嫌なもの=我慢するものという世の中の意見に対する違和感

もちろん仕事にやりがいもあったし、生命を病気や死から救うことを通して地域の人々と触れ合えたことはかけがえのない心の中の財産だ。しかし一方で仕事=嫌なもの、労働=我慢するもの、給料=我慢料という思いは拭いきれず、またそれは多くの人々が共通して持っている観念と一致するのだろう。労働とは人生の中で最も若く、最も健やかで、一番何でもできるかけがえのない時代のほとんどを占める行為だというのに、本当に労働=嫌なもの=我慢するものでいいのかとぼくは大きな疑問を抱いた。しかし生きていくためには仕方のないことなのだろうかと、何となくその疑問を解決できないままだった。

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ぼくには世界一周の旅をしなければならないという燃え盛るような情熱があったので、自らの直感に従って3年で医師としての労働を中断し、その貯金で実際に世界一周の旅に出た。労働に関する疑問や違和感は解決しないままだったが、労働を中断して遠くから俯瞰しなければわからない労働の正体もあるのだろうと感じていた。世界一周の旅の次のことは全く考えていなかったが、ただ何となくお金が尽きたらまた医師として労働し直すのだろうと予感した。

 

・世界一周+日本一周の旅の先で、ぼくはコロナワクチンバイトへと辿り着いた

世界一周中のぼくを、前代未聞の思わぬ事態が襲った。新型コロナウイルスの世界的流行である。とても世界一周を続けられるような状況ではなくなり、2年間で世界一周を中断し、日本に帰国して今度は軽自動車で車中泊をしながら日本一周の旅に出た。そして日本一周の旅を終えた時、またしても思わぬ出来事が起こった。それが新型コロナワクチン接種の開始である。

新型コロナワクチン接種業務には、当然医師の協力が必要不可欠であるという。ぼくは3年間続けた世界一周+日本一周の旅を中断し、コロナワクチンバイトをすることで医師としての労働を再開した。このコロナワクチンバイトが病院や組織で働くのとは全く異なる、労働の全く新しい斬新な側面をぼくに見せつけてくれたのだった。

 

・旅人のぼくにとってコロナワクチンバイトが楽しくて仕方がなかった3つの理由

まずそもそもの大前提として、コロナワクチンバイトはぼくにとってかなり楽しかった。

その第一の理由は、労働環境がかなり健全だったことだ。定時に始まって定時に終わり、残業はほとんどなし!日給はほとんどが10万円以上で多い時には1日20万円以上も稼げるので、かなり効率よく次なる旅の資金を集めることができた。もしも残業があったとしても高額な残業代が支給されるので全く苦痛にはならない。病院で労働していた頃には夜も眠れずに不健康で苦しい思いをして1晩当直しても16000円しかもらえなかったことを考えれば、時給17500円で働けるコロナワクチンバイトはまさに天国のようだった。

またコロナワクチンバイトは自分の好きな時間に自分の好きな場所で自由に働くことができるので、旅人のぼくの魂と親和性がかなり高かった。住んでいる関西はもちろんのこと、移住さながらで東京でホテル暮らしをしながらコロナワクチンバイトに明け暮れたり、ある時は広島へまたある時は北海道へと東西南北自由気ままに赴きながら、日本全国各地で旅するようにワクチンバイトをして生活するようになった。医師が旅するように労働できるという視点は新鮮で新しく、旅人であり且つ医師であるぼくの理想的な労働スタイルを自らの手で確立できた思いがした。

行く先々の会場で様々な出会いがあり、もう二度と会えないかもしれないしまた会えるかもしれない人々と一緒に働くのはとても心地よかった。病院や医局のようにいつまでも同じ人々と働くことが決まっているならば、次第に人間関係にも問題が生じ様々な悩みが引き起こされることだろう。しかしもう会えないかもしれないと思えば損得勘定なく人に優しくできるし、思いがけずもう一度会えた時の嬉しさはいつも一緒に働いているよりも何倍も大きいものになるだろう。中島みゆきの「一期一会」という名曲の歌詞に

人間好きになりたいために
旅を続けていくのでしょう

一期一会の儚さつらさ
人恋しさを募らせる

というものがあるが、コロナワクチンバイト医師の心境はまさにこれに近いものがあると言える。

 

・やりたくてやりたくて仕方がないコロナワクチンバイトを、ぼくは「天職」だと感じた

コロナワクチンバイトはぼくの性格に完全に合致し、ぼくはコロナワクチンバイトが楽しくて楽しくて仕方がなくなってしまった。病院や組織で働いていた時には、まさか自分が労働に対してこのような気持ちになるなんて思いもよらなかった。コロナワクチンバイトには嫌な点が全く見当たらず、ぼくはコロナワクチンバイトがやりたくてやりたくて仕方のない人間になってしまったのだ!

労働をやりたくてやりたくて仕方がない人間なんて本当にこの世にいるのだろうかと、病院や組織で働いて時代のぼくならば疑わしく思うに違いない。しかし若い男性ならば誰もが性行為をやりたくてやりたくて仕方がない時期があるように、まさにそれほどの本能的な情熱でぼくは今コロナワクチンバイトがやりたくてやりたくて仕方がないのだ。この思いや情熱は、実際に労働に魂を乗っ取られた経験がないと理解できない感覚だろう。ぼくは今でもコロナワクチンバイトに明け暮れ、何と半年無休でコロナワクチンバイトに連続勤務するという記録を樹立してしまった。しかし性行為に飽きる若い男性がいないように、やりたくてやりたくて仕方のない労働なので一切疲れることも嫌になることもなく、これから先もコロナワクチンバイトを永遠に継続できると確信している。

労働が楽しくて楽しくて仕方がないなんて、これほどに生きていく上で都合のいい現象があるだろうか。ほとんとの人間は過去のぼくのように労働=嫌なものだと思い込んでいるし、実際にあの立派であると人々から尊敬を集める美輪明宏さんも給料=我慢料であると断言している。しかしぼくは苦痛だと感じた病院という組織の労働から一旦抜け出し、自らの情熱に直感的に従って燃え盛るように旅の中を生き抜き、その結果として運命的にもたらされたコロナワクチンバイトという仕事の中で、労働にも楽しくて楽しくて仕方がない種類のものがあるのだということを発見したのだった。

やりたくてやりたくて仕方のない仕事、楽しくて楽しくて仕方のない労働というのは、これこそまさに日本語でいうところの「天職」なのではないだろうか。ぼくは世界一周+日本一周という長い旅路の果てで、何と自分自身の天職を見出すことに成功したのだった。そしてこの天職こそ、ぼくが直感的に出た旅からもたらされた尊い贈り物だった。

天職に就いてしまえば、ぼくたちは休むことなく疲れることなくいつまでも活き活きと労働することができる。それはすなわち知らない間にお金も貯まってしまうということだ。旅からもたらされた天職はぼくに大きな富をもたらし、ぼくはその富を活用することによってさらに壮大な世界一周の旅に出ることができるだろう。旅→天職→旅→天職→…という輪廻する永久機関がここに誕生し、燃え盛る直感に従って情熱的に生きるための生命の基盤がぼくの中で確立されたのだった。

 

・なぜぼくは天職を発見することができたのか?

重要なことは世の中で言われているように、労働=嫌なもの=我慢すべきもので、給料=我慢料とは決して限らないということだ。周囲の大人の雰囲気やメディアからの情報、美輪さんの動画の先入観もあり、ぼくも労働開始当初は労働=嫌なものと考えがちだったが、それは労働に対する意見の一部ではあるけれど全てではなく、むしろ労働が楽しくて楽しくて仕方がなくなってしまう「天職」という次元があることを、ぼくはコロナワクチンバイトを通して学んだ。

しかし自らの天職へと辿り着き、やりたくてやりたくて仕方がない労働を行なっている人々の様子を見る機会は、ぼくたちにとってあまりにも少ない。ぼくも自分が実際にそうなるまでは、そのような種類の人間がいるということすら信じられなかった。逆に労働は大変なものだ、働くのは辛く苦しく厳しいものだという情報に触れる機会はあまりにも多い。それはただ単に、この世には天職を見出す人がほとんどいないということを意味しているのだろうか。労働=嫌なことだという意見を唱える人がほとんどであるこの世の中で、労働の苦痛性はマジョリティとして君臨し、それが労働の全てではないのにまるで全ての労働は嫌なことであるかのような多数決の錯覚を、ぼくたちは否応無しに見せつけられ思考を支配されてしまっているのではないだろうか。

ではなぜよりにもよってぼくだけが天職へと辿り着き、やりたくてやりたくて仕方がない労働に従事することができ、その上富をなすことに成功できたのだろうか。その答えはぼくという一例だけを見る限りだと明白だ。それは過去をふり返ることなく、未来を思い煩うことなく、今という一瞬一瞬だけを燃え盛るように直感的に生きることを覚悟し、且つそれを実行したからだった。

もちろんそんなのは単なる結果論だ、たまたまぼくが医師だったからだ、たまたまコロナが流行したからだ、たまたまコロナワクチンが発明されたからだという意見も当然あることだろう。それはそうかもしれないし、そうではないかもしれない。この世の全ては偶然の産物であるかもしれないし、必然な運命であるかもしれないし、その答え合わせを誰もしてくれるわけではないから、結局信じる人の気持ち次第なのだ。

 

 

・燃え盛るように直感に従って生きれば、やがてふさわしい軌道へと魂の線路は転轍される

自らの直感に従って旅立つに当たって、ぼくの旅は興味深いテーマを内包していた。それは「燃え盛るような根源に宿る直感の炎に迷いなくただひたすらに従って生き抜いた時、その先にはどのような運命が切り開かれていくのか」ということだ。その答えは、ぼくの旅の結末を見ることで自ずと導き出されるだろうと確信した。

もしかしたら勇気を出して覚悟を決めて、自分の直感に従うように生き抜くことを決意しても何も起こらないかもしれないし、ただ旅にお金を消費して帰国するだけになってしまうかもしれない。そして資金も尽きて生活のために医師として働かざるを得なくなり、単なる無職の空白期間のある奇妙な医師として、以前と同じような病院の労働を苦痛を伴いながら再開したのかもしれない。もちろんそうなったとしても全く悔いはなかった。重要なのは覚悟を決めて行動を起こし、そして実際に自分の肉体と精神で確かめてみることだった。そしてその先に今までとは次元の違う全く未知なる運命の軌道が切り開かれていくのだとしたら、それは自分自身だけの尊い発見となることだろう。

そしてぼくの直感的な世界一周の旅の先には、まさに後者の運命が待っていた。ぼくは旅によって、天職へと導かれたのだ。それは労働が苦痛ではなく、むしろやりたくてやりたくて仕方がなく、やめようと思ってもやめられないという、今までの病院での労働経験からは考えもつかないような異次元世界へのいざないだった。病院や組織の中で働いていた頃のぼくはどちらかというと労働を苦痛だと感じ、自分は医師には向いていないのかもしれないと思い込んでいたので、まさか数年後に医師という職業の範疇で楽しくて楽しくて仕方がない天職を見出すことになるとは夢にも思っていなかった。

ぼくは今まで突き進んでいた間違った軌道から外され、燃え盛るように直感的に行動したことを通して、燃え盛るように直感的に行動したからこそ、自分の魂に合致した本来生きるべき軌道へと転轍され、運命を修正されたのだと感じた。本来生きるべき軌道、そのひとつがまさに「天職」という形でぼく自身に舞い降り、やりたくてやりたくて仕方のないコロナワクチンバイトを通してさらに富を蓄え、次なる旅という”魂の使命”のために出離する準備を効率よく整えることができたのだった。

世の中や美輪明宏さんが言うように労働=嫌なものであり、給料=我慢料だと感じている人が大半だろう。しかしそのような呪縛から抜け出し、天職へと辿り着ける軌道も運命の中には用意されているのだと、ほんの一例ではあるけれども自らの壮大な体験をここに書き記すことによって紹介したいと思った次第である。

 

 

・中島みゆき「ひとつの軌道に誰かが入っている限り」

中島みゆきの夜会「24時着0時発」の中には、次のような印象的なセリフがあった。

ひとつの軌道に誰かが入っている限り、その出口は、その誰かのためにしか開かない作りになっていた。

信じるしかない約束の名は、鎖錠。

山の中の小さな小さな駅で、一生働いた私の父は、田舎者の鉄道員でした。

 

 

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