なぜ努力すればするほど、働けば働くほど罰として奪われてしまうのだろうか。
高収入差別や努力家差別?!累進課税制度と基礎控除消失は不公平でおかしいというのは本当か?
・累進課税制度では年収が高ければ高いほど税負担が重くなる
・年収2600万円を超えると基礎控除がなくなってしまう
・累進課税制度では頑張れば頑張るほど重税という罰が与えられる
・高収入フリーランス医師は年収いくらで労働を中断すべきか
・ぼくが累進課税制度に抱く巨大な違和感
目次
・累進課税制度では年収が高ければ高いほど税負担が重くなる
日本の所得税は累進課税制度の形を取っている。つまり年収が高ければ高いほど、稼げば稼ぐほど所得税がたくさん奪い取られてしまう仕組みになっているということだ。それはすなわち、頑張って必死に働いてお金を稼ぐほどに手取りの割合が低下し、労働の効率が悪くなることを意味している。具体的な所得税の割合は以下の通りだ。
課税所得 | 所得税率 |
195万円以下 | 5% |
195万円を超え330万円以下 | 10% |
330万円を超え695万円以下 | 20% |
695万円を超え900万円以下 | 23% |
900万円を超え1800万円以下 | 33% |
1800万円を超え4000万円以下 | 40% |
4000万円越え | 45% |
このように年収1800万円を超えた分の収入からは40%の所得税が取られてしまい、さらに10%の住民税も加味すると稼いだ分の50%つまり半分が税金として奪い取られてしまう計算となる。もはや年収1800万円を超えてしまえば働く気がなくなってしまうと言っても過言ではないだろう。
・年収2600万円を超えると基礎控除がなくなってしまう
さらに追い討ちをかけるように、年収が約2600万円を超えると誰でも受けられるはずの基本的人権とも言うべき「基礎控除」が徐々に減少し、約2700万円になったところで0になってしまう。控除がなくなるということは課税所得が増加することを意味し、結局は税金が高くなってしまうということだ。高収入になってしまえば本来人間ならば誰もが受けられるはずの基礎控除がなくなってしまうだなんて、あまりにひどい制度だと思うのはぼくだけだろうか。高収入の人々は何も悪いことをしていないのに、なぜみんなが平等に受けられる控除を奪い取られなければならないのだろうか。
・累進課税制度では頑張れば頑張るほど重税という罰が与えられる
貧しい人々からはあまり税金を取らず、高収入の人々からたくさんの税金を奪ってやろうという考え方は、一見正しそうに見える。富める者から多額の財産を奪い取り、お金がなくて困っている人々へと分配するのは平等な社会を作るという観点から税金の役割を大いに果たしていると言えるだろう。
しかし理に適っているかのように見えるこの税金の制度も、よくよく考えてみればなんだかおかしいと思わないこともない。さまざまなパターンはあるだろうが一般的に高収入の人々というのは、幼少期から努力し高度な知識や優れた教養を身につけ、今に至るまで怠ることなくその能力を発揮しているからこそ、たくさんのお金を稼げているのではないだろうか。
普通に考えれば頑張れば頑張るほど、努力すれば努力するほどご褒美がもらえそうなものだ。幼少期にお手伝いを頑張ればその分のお小遣いをもらえたり、学生時代に勉強を努力していい成績を取ったなら好きなものを買ってもらったという経験のある人も多いことだろう。小さい頃からぼくたちは、何かを頑張ったり努力したりすればその分の報いがあると信じながら育ってきたのに、いざ大人になってみると頑張ったり努力した方がたくさん奪われるなんて何だかやりきれない。
頑張って高収入になればなるほど、努力してお金を稼げば稼ぐほど、ぼくたちはなぜか罰を与えられて高額な税金を奪い去られる運命にあるのだ。なぜ絶え間ない努力をしている人々から奪うのだろう。どうして惜しみなく頑張り続けている人々こそが盗まれるのだろう。そのような理解不能な状況は倫理的に問題があるのではないだろうか。本当ならば努力しなかった人々が罰として奪われてしまうのではないだろうか。理にかなう教育的な物語の中では頑張らなかった人の方が盗まれがちになるのではないだろうか。アリとキリギリスの物語で、勤勉なアリの方が怠け者のキリギリスよりも罰として多くを奪われ盗まれるべきだと主張する人が果たしてこの世にいるだろうか。
低収入こそが多く奪われるべきだとはまさか言うまい。高収入の人々は多く稼いでいるのだから多く納税して然るべきだろう。しかしせめて高収入であろうが低収入であろうが、誰もが同じ割合の税率を納めるというのが真っ当で平等な社会ではないだろうか。例えばみんな同じ3割に設定するだけでも給料が高い分、高収入者は低収入者よりもはるかに多額の納税を行うことになるのに、それでは物足りずその平等を破壊してまで高収入者の税金の割合まで増加させるだなんて、全く倫理的ではないし高収入差別も甚だしいのではないだろうか。
・高収入フリーランス医師は年収いくらで労働を中断すべきか
ぼくは今どこの病院にも医局にも属さないフリーランスの医師として、コロナワクチンのスポットバイトのみで生計を立てている。コロナワクチンバイトは日給10万円以上もらうことができ、その労働に毎日欠かさず従事しているので、今年に限って言えば間違いなく高収入と判断されるだろう。ぼくだけではなくワクチンバイトばかりやっている医師の仲間も、みんな年収2000万円以上は軽く超える見込みだ。
ぼくたちが集まった時に専ら話題にしているのは、今年はいつになったら労働を辞めるかということだ。本来ならば稼げる時に稼げるだけ稼ぐのが一番いいに決まっているのだが、あまりに年収が高くなってしまうと上に示したような累進課税制度や基礎控除消失の影響で、収入の半分以上が国家や地方自治体に奪われることになるので、あまりにコストパフォーマンスが悪いということでどこかの時点で労働を終了し、また来年から新たに稼ぎ直した方が効率がいいと考えられるからだ。
最初ぼくたちは所得税が40%で住民税が10%となり合計で50%税金を取られてしまう年収1800万円以上になってまで労働するのは馬鹿馬鹿しいのではないかという意見で一致していた。それゆえに年収1800万円で労働を中止しようと計画していたが、コロナワクチンバイトをしていると年収1800万円なんて半年ほどで簡単に超えてしまうので、知らない間に中止する機会を逃してどんどん労働を継続させてしまった。
しかしさすがに基礎控除がなくなってまで働きたくはないということで、今度は年収2600万円で労働を中止しようという意見が大多数を占めている。ぼくも今年はもう年収2600万円をとっくに超えてしまったので、これから世界を巡る旅に出てブログを書き、経費を使って年収を減少させる予定だ。他のフリーランス医師仲間も年収2600万円を超えたら学生に戻ったり、年収2000万円を超えたら労働を週1にするなど年収をこれ以上増やさない工夫をするようだ。
・ぼくが累進課税制度に抱く巨大な違和感
ぼくが累進課税制度をおかしいと感じる点は、まさにここにもある。能力も知識も技術もあって、ぶち抜けば年収4000万円にさえ届く可能性のある有能な若者たちに、なぜ税金の憂いなしに思いっきり労働させてくれないのだろうか。ぼくたちは仕事が好きだし、エネルギーもやる気もあるし、若々しくまだまだいっぱい働けるし、それでいて大いに人々の役に立つことができるというのに、税金としてあまりにたくさんのお金を奪われるばかりに、仕方なく労働を中断せざるを得ないような状況に追い込まれてしまう。
年収に応じて税金がどんどん増えるという累進課税制度の仕組みがなければ、やる気のあるままに年の最後まで労働しまくり、可能な限り多くの人々の役に立ち、お金も稼ぎまくってよりダイナミックに経済を回しただろう。しかし現実は累進課税制度と基礎控除の消失に失望し、あまりに悪い効率のせいで労働を途中で中断することを決断させられてしまう。本当はもっと労働したいのに、働くことが楽しくて楽しくて仕方ないのに、頑張れば頑張るほど、努力すれば努力するほどお金を奪い取られ、盗まれてしまうこの世の中では、もはや中断という選択肢が賢明なのだ。累進課税制度は能力のある優秀な若者のやる気を奪い、労働意欲を削ぎ落とし、経済を回すパワーを減退させ、そして労働に無関心になることを助長する。
努力すれば努力しただけ奪い取られるという危険性がなく、頑張れば頑張るほどきちんと報いが与えらえる、そんな”当たり前の”世界はどこにあるのだろう。しかし調べてみると累進課税制度というのは日本だけではなく、あらゆる先進国に共通してある税金の仕組みのようだ。努力すればするほど奪われ、頑張れば頑張るほど盗まれるというのは、世界に君臨する常識のようだ。努力すればするほど与えられ、頑張れば頑張るほど報われるという、そんな”当たり前の”世界がこの世にはない理想郷だというのなら、ぼくたちは労働やお金の中に幸福を見出すことの浅はかさに気付き始めるのかもしれない。ぼくたちは労働やお金の中に幸福を見出すことで、搾取するために都合のいい部品になるように操られているだけかもしれない。
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