偏差値100以上の模試結果を大公開!偏差値が100を超えることがあるというのは本当か?

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偏差値が100を超えることなんてあるの?????

偏差値100以上の模試結果を大公開!偏差値が100を超えることがあるというのは本当か?

・ぼくの模試の偏差値が100を超えていたという噂
・画像あり!本当にぼくの模試の偏差値は100を超えていた
・偏差値とは?標準偏差とは?導き方と意味を徹底解説!
・ぼくの英語の校内偏差値が100を超えていた理由

・ぼくの模試の偏差値が100を超えていたという噂

この前中学・高校時代の同級生の友人と3人で飲んでいると、なぜかぼくの学生時代の成績の話になり「水色って、模試で偏差値100超えてたことあったよな?!学校の掲示板に張り出されてて、あれには爆笑した!」という思い出話が飛び出した。

ぼくはそんなこと全然覚えていなかったので「え???そんなことあったっけ?????」とポカンとなってしまうような状況だったが、他の2人ともそれをはっきりと覚えていたらしく、おそらく事実だったのだろう。しかし模試の偏差値で100を超えることなんて本当にあるのだろうか。ぼくは中学高校とずっと学年1位の成績だったが、自分の記憶にある模試のいい成績というのは偏差値70とか80とかだったような気がする。100なんて超えてたっけ?

それにしてもぼく自身が覚えていない模試の成績のことを、なぜ他人である友人の彼らがそんなにはっきりと覚えているのだろうか。

 

 

・画像あり!本当にぼくの模試の偏差値は100を超えていた

そんなことも忘れて大晦日に実家の自分の部屋の大掃除をしていると、偶然にも自分の高校時代の河合塾の模試の成績が出てきた。ほーと思って懐かしい思いでぼんやり眺めていると、なんとそこには偏差値100.7という数字が!

ほんまやん!!!偏差値100超えてるやん!!!ぼくは同級生の記憶力の高さに感心してしまった。しかしこれは全国偏差値ではなく、英語の校内偏差値の数字だ。彼らが覚えていたのは英語の校内偏差値の値が100.7だったということであり、全国の偏差値だと81.2という風になっていた。

しかし校内偏差値であろうと、模試の偏差値って100を超えることってあるんだなぁと、自分の成績を見ながら不思議に思ってしまった。

 

 

・偏差値とは?標準偏差とは?導き方と意味を徹底解説!

そう言えば偏差値というものに関して深く考えたことがなかったが、そもそも偏差値とはなんだろうか。偏差値とは次の式で導かれるという。

ほーんという感じだが、ここで重要なのは「標準偏差」という概念だ。「得点」というのは自分の模試の点数のことだろう。「平均点」というのももちろんわかる。標準偏差とは、一体なんだろうか。

標準偏差とはそのテストの点数のバラツキ具合を見るための数値だ。例えば平均点が50点という点では同じテストであっても、上図のように30点〜70点の点数を取る人しかいなかったバラツキの小さいテストと、下図のように0点〜100点までの点数を取る人が幅広くいたバラツキの大きいテストが存在する。このようなバラツキ具合を数値化するために標準偏差はある。標準偏差は次のような式で求められる。

標準偏差を導き出すと、上図のようにバラツキの小さなテストの標準偏差の値は小さく、下図のようにバラツキの大きなテストの標準偏差は大きくなるということがわかる。

偏差値を導くための式をもう一度確認すると

このようになっているので標準偏差への理解をふまえると、偏差値の値はテストの点数にバラツキの大きい集団の中では低くなり、バラツキの小さい集団の中では高くなることがわかる。確かにバラツキの小さい上図で70点取った人の価値と、バラツキの小さい下図で70点取った人の価値を比べると、明らかに上図の人の70点の方が価値があることは偏差値を計算しなくてもなんとなく予想がつく。またその集団内の平均点が低ければ低いほど、偏差値は高くなる。

偏差値とはこのように集団の中における平均点と点数のバラツキを考慮して、自分の点数の的確な価値を導き出そうとする数値だったのだ。

 

 

・ぼくの英語の校内偏差値が100を超えていた理由

とするとぼくの英語の校内偏差値が100を超えていたのには、2つの理由が考えられる。ひとつは校内の英語の点数の平均点が低かったこと、そしてもうひとつは校内の標準偏差が小さかったすなわち校内の英語の点数のバラツキが小さかったということだ。あるいはその2つが相乗効果をなしたからこそ偏差値が100以上になったのかもしれない。ぼくの高校は英語の平均点が全国に比べて低く、そしてバラツキが小さかったにも関わらずその中でぼくだけが突出してみんなが取れないようないい点数を獲得したということを示しているらしかった。全国の英語の点数を見ていくともっと平均点は高く、もっと点数のバラツキも大きかったので、偏差値が校内のものよりはるかに下がって81.2になってしまったのだろう。

こんな風に書くととても傲慢な人格のように思われてしまうが、しかしぼくはこのような気配を否応なしに薄々感じていた。例えば勉強合宿の英語の授業で、なんと1限の間に1文の英文を和訳すればいいだけという課題が出て、それが終われば自習をしていいというなんとも気楽な場面があった。ぼくはその問題をすぐに解いて正解し、すぐに自習できてラッキーだと思っていたけれど、その授業中にその和訳問題を正解できたのは結局クラス内でぼくひとりだけだった。

おそらくぼくはひとりだけ自分の能力に合っていない高校に通っていたのかと思われるが、その学校が近所だったのでそこを選んだというだけだった。もしかしたらもっと自分の能力に合った高校に行って自分の能力を高めればよかったのかもしれないが、そんなことを高校と大学を卒業した今になって言っても仕方がないし、高校時代はそれなりに楽しかったので全く悔いはない。

 

 

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