ホルマリンの匂いを嗅ぐと思い出すあの解剖実習の日々!!!!!
医学生でも吐いたり泣いたりする?!医学部の解剖実習が怖いというのは本当か?
・医学部6年間のうち本格的な医学の勉強は2年生から始まる
・医学部における解剖実習の詳細
・医学部の解剖実習が怖いというのは本当か?
・ぼくも最初は解剖実習が怖かった!
・医学部6年間のうち本格的な医学の勉強は2年生から始まる
日本で医者になるためには、大学の医学部に6年間通う必要がある。大学生活が6年間あると言っても、6年間まるまるずっと医学を勉強する訳ではない。最初の1年生のうちは語学などの文系科目、数学物理化学など医学に関係が浅い理系科目を学ぶことになるが、2年生からは医学の勉強一色になる。
大学の医学部と他学部の校舎は遠く離れていることが多く、1年生の頃は他学部の校舎で他学部の学生たちと一緒に混じって幅広く一般教養を学ぶこととなるが、2年生になって医学部の授業のみになると独立した医学部校舎だけに通うこととなり、他学部の人々との縁も次第に薄れ、医学部の人々だけの閉ざされた空間で残りの5年間を過ごすこととなる。
・医学部における解剖実習の詳細
2年生になって医学部の授業が開始する。2年生では組織学、生化学、発生学などの基礎医学を学ぶことが中心となるが、その中でも最も時間をかけて丁寧に行われるのは解剖実習だ。解剖実習とは、実際に人間のご遺体をメスやハサミなどの医療機器を切って、人体の内部構造を観察しその仕組みを理解するという勉強だ。2年生の医学生がおよそ6人ずつのグループに分けられ、1グループにつきひとつのご遺体があてがわれ、そのひとつのご遺体を半年ほどかけて少しずつ丁寧に解剖していく。
ご遺体は医学教育の発展のために自分の体を使ってほしいと生前に申し出てくださった人々なので、尊敬の気持ちを込めながらひとつの学びも取りこぼさないようにと解剖実習は続けられる。人体を構成する組織は実に様々であり、皮膚、筋肉、血管、神経、内臓、骨のひとつひとつを細かく観察していく。眼球や生殖器、脳なども細かく切られ、その内部がどのような構造になっているのかきちんと確認する。その詳細は定期試験に出題され、神経の名前から骨の小さなくぼみに至るまで名称を記憶したかどうか細かくチェックされる。
ぼくの大学の場合は解剖実習の教科書が英語で、試験も全て英語、人体の臓器や部位も全て英語で記憶しなければならなかったので大変だった!しかもせっかく英語で覚えても実際にこれから使うのは日本語名なので、英語で覚えたものを次は日本で覚え直さなければならないというのにとても時間がかかった!他の大学もこんな風に全部英語でやっているのだろうか。
・医学部の解剖実習が怖いというのは本当か?
ぼくたち医学生にとっては解剖実習が日常生活の一部だったので、解剖実習を当たり前のようにこなしていたが、医学生でない人からしてみれば、医学部ってとんでもないことをやっているんだなという感想を抱くらしい。
まず死んだ人とずっと向き合うという行為がまさに非日常だ。ぼくたちが普通に日常生活を送っていて、亡くなった人と接触する時間なんてほとんどない。人間は必ず死ぬ運命を背負っているのだから死ぬこと自体は珍しくはないはずだが、生きている者たちにはあまり見えないように死は人間社会で敢えて隠されているのだ。それゆえに亡くなった人と対面するという非日常な行為が想像もできなくて恐ろしく、解剖実習は怖くはないのかと聞いてくるのだ。
さらに死んだ人に向き合うだけならまだいいが、それをメスなどで切るという行為が一般的には怖すぎるというのだ。確かに人体を切るなんて普通に考えればとんでもない行為だ。死んだ人に立ち会うよりも、はるかに珍しい経験をしていると言えるだろう。死者と向き合い、それを解剖するのはすごく怖そうだというのが、医学生ではない一般的な人々の共通して持っている感想らしい。
しかし医学生といっても2年生なんて一般の人と全く同じだ。医者として働いた経験もなければこれまでに医学を学んだこともほとんどなく、1年生の頃は一般教養を勉強していただけなのだから、医学部の2年生なんて普通の一般的な大学生と何ひとつ変わるところはない。では医学生は一般の人と同じように、解剖実習が怖いのだろうか。死者と対面するという、そして人体を切るという恐怖と常に闘いながら解剖実習は行われているのだろうか。
・ぼくも最初は解剖実習が怖かった!
ぼく自身の経験から言うと、正直言うと解剖実習の最初の授業は怖かった!ご遺体に触れた経験なんて全くないからだ。死ぬってどういうことなんだろう、死んでいる人ってどんな感じなのだろうというのも全く未知数だったので、初めてご遺体と対面したときは心の中に恐怖の感情が存在していた。
しかし解剖実習がいざ始まってしまえば、恐怖の感情は全くなくなってしまった。人間にはいつも同じようなことをしていればそのうち「慣れる」という心の機能が発動するようだ。ご遺体に向き合い、解剖実習するという行為はぼくにとって完全な日常になってしまったので、慣れることによって全く怖くはなくなった。恐怖の感情はすぐに消失し、こんなことをさせてくれているご遺体に対する敬意と、それに報いようとする学びの思いが心の中を占め始めたというのが事実である。
具体的に言えばぼくは1日目は怖かったが、2日目からは全く怖くなくなった。そして当然のことながら解剖実習が終わるその日まで怖いという感情を抱くことはなかった。周囲の友達もだいたいそんな感じだった。1日目で恐怖で泣いていたり、気分が悪くなって吐いたりという人も見られなかった。やはりみんなそれなりに覚悟して医学部に入ったということなのだろう。
ご遺体を見て気分が悪くなるというようなことはなくても、防腐のためのホルマリンの独特な匂いで気持ち悪くなるということはあり得ることかもしれない。ぼくも最後まであの匂いが苦手だった。しかしそんなこと言っていても始まらないので、苦手な匂いも我慢して最後までやり遂げた次第である。