平均3日間?!社会人になると小学生のような夏休みをもらえないというのは本当か?

 

社会人になっても夏休みが欲しいぞ!!!!!

平均3日間?!社会人になると小学生のような夏休みをもらえないというのは本当か?

・ぼくは四季の中で最も夏が好きだ
・人生における夏休み期間の推移
・今という瞬間瞬間を燃え盛るように生きる少年の瞳
・1ヶ月以上の少年時代の夏休みと3日間の社会人の夏休み
・部品ではなく全体としての生命は夏休みに属する

・ぼくは四季の中で最も夏が好きだ

ぼくは春夏秋冬の中で、いちばん夏が好きだ。ぼくは暑いのが好きなのだ。よく人生の中で夏か冬のどちらが好きかと問われることがあるが、もしも全財産を失くして家から外に放り出されたとしても、真冬なら確実に死んでしまうが夏なら気温も高く生命が生き延びる可能性も十分に高いことから、ぼくは冬よりも夏の方が断然好きだと答えるだろう。

ぼくが10年間日本から沖縄に移住したのも、暑くて日の光の強い場所が好きだからだ。好きというよりも、本能的に直感的に、遺伝子の底から南の地方を求めてしまうのだ。沖縄で住んでいるときでも、暑いのが大好きなのでクーラーを一度もつけずに部屋を通り抜ける自然の風と扇風機でいつも一夏を過ごしていた。

沖縄や台湾、インドネシアなどの島独特の湿潤な空気と強い日差しの中をさまよっていると、自分のいるべき場所はここだと心から感じる。もしかしたらぼくのご先祖様は遠い昔、南の島々から日本へと海洋の旅をして日本列島へと辿り着いたのかもしれない。その日本列島以前の記憶が遺伝子に深く刻み込まれ、今でも南の島々の気候や風土を無意識のうちに求めてしまっているのかもしれない。

またここ日本列島において南の島々と似ている気候が紛れもない「夏」であることから、ぼくは遺伝子の根底から夏を愛しているのかもしれない。照りつける夏の光や湿潤な夏の空気、夏の木々のさざめきや夏の清流のせせらぎ、立ち込める夏の草や土の匂いはぼくの記憶の中に深く刻み込まれ、ぼくの魂を揺さぶってゆく。

 

 

・人生における夏休み期間の推移

幼少時代の夏という季節の結晶といえば「夏休み」だ。それゆえにぼくの心には、夏休みの感覚が深く刻み込まれていると言うこともできる。しかしインターネット上の意見を見てみると幼少時代の夏休みの感覚は特別尊いと感じている人も多そうだ。夏という季節や夏休みの記憶を慈しんで生きているのはぼくだけではないのかもしれない。

夏休みといえば小学校の時は1ヶ月以上あったことが思い出される。中学校や高校も本来なら1ヶ月以上あったが、全ての学生に強制的な補習授業があったので毎日登校する日々が続き、実質的な夏休みはほんのわずかだったように思う。大学生になるとこれが一転して、夏休みも春休みも長かったので驚いた!大学生の夏休みなんて宿題もないので本当にこんなにも真に自由な時間が手に入ってもいいのかと思ってしまったほどだ。

しかし社会人となり医者として働いてからというもの、夏休みなんてないも同然になってしまった。病院の制度にも大きく左右されるだろうが、働き始めの時期は夏休みを3日間もらえただけだった。これも社会人からすれば普通なのだろう。土日をつなぎ合わせて実質最高5日間の夏休みだった。5日間で何処か大掛かりな旅に出かけられるはずもなく、社会人になってはじめの時期は台湾ばかりに行っていたような気がする。社会人というのはこの5日間を楽しむために毎日せっせと働くのだろうか。果たして人生とはそのような様相でいいのだろうか。社会人の海外旅行者が惜しみなくお金を使い贅沢する意味がわかったような気がした。

病院が変わって沖縄本島から宮古島に移住すると、今度は5日間の夏休みをもらえることになってありがたかった。3日間と5日間とは大きく違う。なぜなら5日間ならその前後の土日と合わせて合計9日間夏休みをもらえるからだ。5日間取れるなんてありがたいと感じながら、ぼくは未知の国イランを旅した。

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・今という瞬間瞬間を燃え盛るように生きる少年の瞳

それにしてもぼくは小学校のうちに教えてほしかったような気がする。こんなに1ヶ月以上も本当に夏休みを取れることなんて、もう一生にそうそうないのだと。そう忠告されればもっと夏休みを愛しく思い慈しんで1日1日をかみしめるようにして過ごせたかもしれない。小学生のぼくなんて、1ヶ月以上の夏休みがあることは当たり前だと思っていたのだ。これからもずっとおじいさんになるまで、夏休みはずっと1ヶ月以上与えられ、それが人間の当然の権利のようなものなのだろうと何となく信じ込んでいた。みなさんはどうだろうか。大人になればこんなに夏休みをもらうことができないと理解しつつ小学校の夏休みを満喫していた小学生もいるのだろうか。

しかし少年の魂というものは、過去も見ず未来も見ず、今という瞬間だけを見て炎のように生きているからこそ美しいのだ。人間は次第に大きくなり心が発達するにつれて、自らの過去の行いを思い出し公開したり、未来が不安で不安でたまらないと思い煩ったりして無駄な時間を増幅させてゆく。過去の行いなんて後悔したところで修正不可能であり、また未来の不安を思い煩ったところで未来に何が起こるなんて神様しかわからないわけだから思い煩うだけ時間の無駄である。本当に正しいのは、今という瞬間瞬間を燃えるように必死に生き抜くことだけだ。

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そのような聡明な生き方を知っているのは、成人ではなく、老人ではなく、むしろ少年や赤ん坊だ。日本では儒教の教えから、寝ていても年さえ取ればありがたく尊敬されるような社会システムになっているけれど、実際には老人よりも少年の方が素晴らしい点は無数にあり、やたらと年齢ばかりを強調して老人ばかりを崇め奉るのは思考停止したふさわしくない考え方である。老人を尊敬するのと同様に、ぼくたちは少年も、そして赤子もリスペクトすべきだ。

 

 

・1ヶ月以上の少年時代の夏休みと3日間の社会人の夏休み

それにしても幼少時代に1ヶ月以上の自由な夏休みを与えられたのに、社会人になってしまえば平均的に3日や5日の夏休みしかもらえないだなんて、日本の社会人たちは本当にそれで満足しているのだろうか。幼少時代には1ヶ月以上夏休みをもらえるのが人間としての当然の権利だと何となく信じていた少年は、大人になってからの夏休みシステムに絶望したりしないのだろうか。

最初から3日間の夏休みしかもらえないのだったらまだ話はわかる。少年時代の夏休みも3日間だったなら、少年は人間とは3日間の夏休みを取る権利を与えられた生物なのだと信じ込み、社会人になって3日間の夏休みしか取れなくんてもなんの違和感も覚えないだろう。しかし人間というのは喪失に非常に敏感な生き物だ。毎月1000円もらっていたお小遣いがいきなり300円になってしまったら、どうしてなんでなのと必死にその理由を尋ね、また1000円のお小遣いに戻してくれるように懇願するだろう。

1ヶ月以上ももらえていてそれが当たり前だと信じていた夏休みを急に3日間へと奪い取られても、人間は平気な顔をして今まで通り生きていけるものなのだろうか。みんなそんなものさ、仕方がないさと諦めて労働に従事しているのだろうか。どうせ社会人へと成熟した暁には3日間の夏休みへと奪い取る予定であるならば、少年時代から3日間の夏休みしか与えなければ夏休みを喪失した感覚も生み出さずうまく生きていけるのに、どうしてこんなに学生時代と社会人とで夏休みの期間に極端な開きがあるのだろうか。幼少期や若い頃には休暇をとってよく休み、情操教育でもすべきだという配慮からだろうか。それならば成熟した社会人は情緒を育てる必要もなく、生きていく上で情緒など感じずにただ社会の部品として都合よく労働に従事してくれればいいということなのだろうか。

 

 

・部品ではなく全体としての生命は夏休みに属する

労働が人間集団の幸福と平和のために個人を抑圧させ部品として生き延びる世界ならば、休日や夏休みは紛れもなく部品と成り果ててしまった自分を退けて、自由に少年のように生きられる人間として生命として全体的な日々を取り戻す期間だろう。その休日が限りなく少数の日数に抑え込まれているということは、人間から全体として生きるチャンスを奪うということにつながるのではないだろうか。

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老人になって退職すれば、また部品ではなく全体としての自分を取り戻せるから大丈夫だと思うだろうか。しかし最も若くて最も健康で最も美しい時代を、人間は部品として生きるしかできないと運命付けられている時代に、わずかでも違和感を覚えないだろうか。都合のよい部品にならなければ生きるためのお金をあげませんよと人間社会に脅され、一旦部品をやめてしまえばあなたは再度部品には戻りにくいですよ、効率よくたくさんのお金を稼ぐため、不安なく人生を生きるためなら休まず部品であり続けるべきですよと、人間社会はぼくたちの生命を見下す。

ぼくは自らの根源の旅する炎にそそのかされ、世界一周の旅に出るために医者の仕事を一旦辞めた。旅する自分自身は都合のよい部品ではなく、生命として全体であり、人間として真っ当であり、少年の魂という祖国へと帰り着いたような思いがする。ぼくはまさに今、少年時代の夏休みを強制的に人間社会から取り戻した状態にあると言えるだろう。全ての人々にとって少年時代の夏休みの光は心に刻み込まれいつまでも忘れないようだ。それは夏休みを、自分という生命が部品ではなく全体として燃え盛るように生き抜いた最後の時代であるということを魂の奥の部分で知っているからではないだろうか。

 

 

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