生きていける、そんな気がしていた。
歌に導かれて人生が動かされるというのは本当か? 〜Coccoに沖縄へ運ばれた命〜
・受験期に不思議とよく聞いていたSPEEDとCocco
・沖縄へと運ばれることになった命
・歌に導かれてたどり着いた沖縄
・ユタの文化が息づく琉球諸島
・受験期に不思議とよく聞いていたSPEEDとCocco
歌には人を導く不思議な力があるのかもしれない。
大学受験を控えた日々にぼくがなぜかハマったのは沖縄のアーティストたちだった。特に意識したわけでもなく、大学受験の日々によく聞いていたのがたまたまSPEEDとCoccoだったのだ。特にCoccoなんて今まで聞いたこともなかったし、ミュージックステーションで走り去るように消えて活動休止した衝撃的なシーンをたまたま見たのが彼女を知った初めてのきっかけだったし、それまで興味もなかったのに不思議と彼女の歌に魅了されていった。
ぼくは難波の道頓堀の大きなツタヤでSPEEDとCoccoのCDを全部借りながら、受験勉強の対策をしていた。ぼくの目標が「医学部医学科」に受かることだったので、医者になれるんだったら日本のどこに行ってもいいだろうという心構えだった。ぼくの周囲の友人は皆、関西出身で関西の大学を目指しているという状況だったが、その頃から潜在的に旅人の炎が燃えていたぼくは、どうして皆そんなに近くに行きたがるのだろう、ぼくはいっそ遠くへ行ってしまいたい、旅するように人生を生きてみたいと考えていた。
・沖縄へと運ばれることになった命
そんなぼくが医学を学ぶ場所として選んだのが沖縄だった。沖縄なんてそれまで行ったこともなければ親しみもなかったのに、ぼくが英語が得意だったことやセンター試験と二次試験の点数の配分、総合大学であることなどを加味してなぜか沖縄の大学を受験するということになった。それにぼくは寒いところが嫌いで冷え性だったこと、遺伝子的に暖かな南を好む体質だったことも大いに影響していたかもしれない。
沖縄といえば、なんだか南国のパラダイスみたいなところで、みんなが休暇に行くような場所というイメージだったので、自分がそこに住むなんて想像もできないというような感じだったがなんとなく楽しみではあった。
ぼくの周囲ではみんな修学旅行で沖縄に行ったりして沖縄を経験済みだったのに、うちの高校は修学旅行がオーストラリアだったので、なんと大学受験で初めて沖縄を訪れた。受験会場で周囲の沖縄出身の受験生の喋り方を聞いて、今までまったく聞いたこともない方言だったのでまずその発音に驚いた。なんだか外国人が日本語を喋っているみたいだなと感じた。
わざわざはるばる沖縄まで受験するために足を運んだというのに受験票を忘れたりするなど今思えばありえないトラブルもあったが、なんとか沖縄の大学に合格することができた。
・歌に導かれてたどり着いた沖縄
ぼくが何の縁か沖縄へ引っ越すことになった時に、ふと思い当たったのがSPEEDとCocooのことだった。受験中、ぼくはなんでこんなにもSPEEDとCocooにハマってしまっているのだろうと不思議に思っていたが、沖縄の彼女たちの歌が、ぼくの命が沖縄へ運ばれていくのだという予兆をきちんと示してくれていたのかもしれなかった。
沖縄へ旅立ってからもよく彼女たちの歌を聞いていたが、特にCoccoの歌を聞くと、彼女の歌声は沖縄という島そのものではないかと思うほどに、ごく自然と琉球諸島の風土とありようを表現してしまっていることに気が付かざるを得なかった。
湿っぽい沖縄の南の風を受けながら、車の窓を開けて彼女の歌を聞いていると、彼女の清らかな歌声と少し暗い純粋な少女のような歌詞が混じり合い、まるで彼女の歌そのものが女性というものの湿り気を帯びている琉球という女性の姿としてぼくの目の前に浮かび上がり、沖縄で生きていく限りその存在感を拭い去ることができなかった。
それに呼応するように活動休止から復活した彼女は、どんどんと沖縄的、琉球的な色彩の濃厚な歌を創り出し、ぼくたちのもとに届けてくれた。全国的な歌姫だった彼女は次第に沖縄的な歌姫へとその範囲を狭め、しかしだからこそ唯一無地の広々とした存在感を放つに至った。
・ユタの文化が息づく琉球諸島
彼女のオリジナルアルバムで最も好きで今でもよく聞いているのはセカンドアルバムの「クムイウタ」だ。沖縄方言で「子守唄」という意味らしい。
このアルバムを聞いていると、今でも沖縄の真ん中の海で泳いでいるような気持ちになる。琉球諸島はとてつもなく広い。それはぼくが10年琉球諸島に暮らして気づいた真実だった。そしてこの広大な琉球諸島を少しでも深めたいと祈り、沖縄本島だけではなく、宮古島、与那国島にも暮らした。そして世界に旅に出てしまった今になったは思う。このアルバムを聞きながら「どうして自分は今、沖縄にいないのだろうか」と。
琉球諸島には日本とはまた違った、日本の原型とも言える宗教観念が今もなお息づいている。「ユタ」と呼ばれる巫女さんのような存在が今もなお日常的に人々の生活の中で機能しており、彼女たちがお祈りをしたり相談ごとに乗ったりする。神高い(性高、サーダカ)という性質を持っている彼女たちを怪しがらずに、尊重する文化を持っている琉球諸島が生んだ、Coccoは全国へと知れ渡ったひとりのあるユタの姿なのかもしれない。