丁寧語、尊敬語、謙譲語の違いをイラスト付きで徹底解説!敬語の区別が難しいというのは本当か?

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丁寧語、尊敬語、謙譲語の違いってややこしい?!?!?

丁寧語、尊敬語、謙譲語の違いをイラスト付きで徹底解説!敬語の区別が難しいというのは本当か?

・丁寧語、尊敬語、謙譲語の違いを知ろう
・丁寧語は「です」「ます」で会話相手を尊敬するための敬語
・尊敬語は動詞の動作主を持ち上げ尊敬するための敬語
・謙譲語は自分を下げて、動作される相手を相対的に格上げする敬語
・丁寧語、尊敬語、謙譲語の違いまとめ

・丁寧語、尊敬語、謙譲語の違いを知ろう

日本語の敬語には丁寧語、尊敬語、謙譲語の3つが存在する。この3つの区別は中学・高校で学習するが、その違いを明確に説明できる人は意外と少ない。違いを勉強しようと教科書を開いてみても、何を言っているのかわからなくて困ることもしばしばだ。

ここではぼくが中学・高校時代に教科書や例文や日常会話を見ながら自分なりに思考した丁寧語、尊敬語、謙譲語の違いについてイラスト付きでわかりやすく記述しようと思う。丁寧語、尊敬語、謙譲語の違いは定期試験や受験でも出てくるし、敬語を使いこなさなければならない日本の社会で生きていくにおいてきっと役立つことだろう。

 

 

・丁寧語は「です」「ます」で会話相手を尊敬するための敬語

まず最も簡単なのは丁寧語だ。丁寧語とは「です」「ます」「ございます」のことである。日本人なら誰でも自然に会話や文章で「です」「ます」を使う場面が出てくるだろう。とりあえず「です」「ます」があれば、それは丁寧語だと判断できるからとても簡単だ。

ではこの丁寧語の役割とは何だろうか。これも単純で、とにかく会話相手に対する尊敬を表すのに用いられる。例としてピカチュウとドラえもんの会話を見ていこう。

ドラえもん「今日は晴れています」
ピカチュウ「いい天気ですね」

という会話がなされている。この場合、ピカチュウもドラえもんも語尾に「です」「ます」をつける丁寧語で話している。丁寧語とは、会話相手を尊敬していることを表す。つまりピカチュウはドラえもんを尊敬しているし、ドラえもんもピカチュウを尊敬するような間柄であることがわかる。

しかし例えばこれが

ドラえもん「今日は晴れているな」
ピカチュウ「いい天気ですね」

というような会話なら、ピカチュウだけが丁寧語を使っておりドラえもんは丁寧語を使っていないので、ピカチュウはドラえもんを尊敬しているが、ドラえもんはピカチュウを尊敬していないことがわかる。この場合2人の関係は、ドラえもんが目上でピカチュウが目下であると考えられる。儒教的な日本社会を生きているならばなんとなく自然とわかる感覚だろう。

 

・尊敬語は動詞の動作主を持ち上げ尊敬するための敬語

さてややこしいのは残りの2つ、尊敬語と謙譲語だ。この2つは丁寧語のように単純に「です」「ます」をつければ明らかに丁寧語だとわかるわけではない。

ぼくたちが日常でよく使う動詞には尊敬語の形と謙譲語の形があり、それぞれを暗記する必要がある。めんどくさいと思うかもしれないがそんなに数はないので、すぐに暗記できるだろう。例えば動詞「行く」の尊敬語は「いらっしゃる」、謙譲語は「参る」もしくは「伺う」だという風に暗記する必要がある。尊敬語と謙譲語は暗記する必要があることを前提に、尊敬語と謙譲語の違いを見ていこう。まずは尊敬語の使用例から!

ドラえもん「昨日しんのすけさんがケーキを召し上がっていたよ」
ピカチュウ「そうなんだ!しんのすけさんはもうすぐいらっしゃるだろう」

という会話がピカチュウとドラえもんの間でなされている。ここでの話題の中心は、この場にはいない第3者のしんのすけについてだ。2人とも「召し上がる」「いらっしゃる」という尊敬語を使っている。「召し上がる」は「食べる」の尊敬語で、「いらっしゃる」は「来る」の尊敬語だ(これは暗記するしかない)。

ではこの尊敬語を使うことで、2人とも一体誰を尊敬しようとしているのだろうか。尊敬語を使うということは、すなわちその動詞を行う動作主のことを尊敬していることを示している。その動詞を普通の動詞から尊敬語の動詞へと格上げすることで、その動詞を行う動作主の価値までをも持ち上げることができ、動作主は自分よりも目上に位置しているのだと表現することにより、動作主への尊敬を表す仕組みになっている。下の図を見るとわかりやすいだろう。

すなわちこの例の場合「食べる」のも「来る」のもしんのすけなので、「食べる」という普通の動詞を「召し上がる」という尊敬語に、「来る」という普通の動詞を「いらっしゃる」と尊敬語に変化させることによって、ピカチュウもドラえもんも動作主であるしんのすけを尊敬していることを表していることになる。

間違ってもピカチュウが会話相手のドラえもんを尊敬したり、ドラえもんが会話相手のピカチュウを尊敬していることを表すために尊敬語を使っているわけではない!尊敬語が尊敬を表せるのは、あくまでも動作主に対してだけだ。尊敬語の動作主は誰なのか、文章をきちんと読んで見極める必要がある。ピカチュウとドラえもんがお互いに尊敬を伝えられるとしたら、会話相手に対しての尊敬を表す「です」「ます」の丁寧語を使う必要があるが、この例の中ではピカチュウもドラえもんも「です」「ます」を使っていないので、2人は尊敬し合う必要のない気軽な友人関係だと考えることができる。

 

 

・謙譲語は自分を下げて、動作される相手を相対的に格上げする敬語

さて尊敬語とは、普通の動詞をあえて尊敬語という動詞に格上げすることによって、その動作主の価値を自分より上に置くことで、動作主への尊敬を表現しようとする言葉の作業だった。しかし相手が自分よりも尊敬すべき目上であることを表現する方法は、何も相手を持ち上げるばかりではあるまい。相手を上げることで尊敬を表現することが尊敬語という手段なら、自分をあえて下げる(へりくだる)ことによって相手を相対的に上に持ってきて尊敬を表そうとするのは謙譲語という方法である。例を見ていこう。

ドラえもん「今からしんのすけさんのお宅へ伺おう」
ピカチュウ「そうだね!この前のお礼を申し上げよう。」

この例文の場合、「伺う」と「申し上げる」という謙譲語が使われている。「伺う」は「行く」の謙譲語、「申し上げる」は「言う」の謙譲語であり、これは暗記すべき項目だ。ではこの謙譲語はどのような役割を果たし、誰を尊敬しようとしているのだろうか。

謙譲語とは、その動詞の動作主の格をあえて下げることによって、その動作をされる人を相対的に持ち上げることができ、結果としてその動作をされる人への尊敬を表現できる言葉だ。この例の場合「行く」のはドラえもんで、「言う」のはピカチュウだ。これらの動詞をあえて格下にし「行く」を「伺う」、「言う」を「申し上げる」とレベルを下げることによって、その動作をされる人すなわちしんのすけを持ち上げることができ、結果的にしんのすけへの尊敬を表現することに成功する。下の絵を見るとわかりやすいだろう。

 

・丁寧語、尊敬語、謙譲語の違いまとめ

まとめると丁寧語、尊敬語、謙譲語の中で、丁寧語を見分けることは簡単だ。丁寧語とは「です」「ます」のことで、ただ会話相手に対する尊敬を表す。難しいのは尊敬語と謙譲語の違いだろう。

相手が自分よりも目上であることを表現するためには2つの方法がある。相手を持ち上げるか、もしくは自分を下げるかだ。相手が行う動詞の格を上げることにより相手を持ち上げるのが尊敬語、相手がされる動詞の格を下げることにより相対的に相手を持ち上げるのが謙譲語だ。いずれにしても自分と相手の間に階段状の段差を作ることができ、自分は下で相手は上だと表現することが可能となる。このようにあえて格上、格下という階級の階段を形成しながら、日本社会は回っていく。

ぼくはこの制度が馬鹿馬鹿しくて大嫌いだ。人間に目上も目下もあるわけがないし、これは民衆に大人しく言うことを聞かせ、人間を都合よくコントロールし支配するための儒教的システムだろうと思われるからだ。しかしいくら怪しい制度でもそのような社会が既に形成されて学校の国語の授業に組み込まれている以上、文化として学ばないわけにはいくまい。

 

 

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