テレビのクイズ番組が面白いというのは本当か? 〜クイズ番組が馬鹿馬鹿しいと感じる理由〜

 

人生にはクイズ番組など見ている暇はない。

テレビのクイズ番組が面白いというのは本当か? 〜クイズ番組が馬鹿馬鹿しいと感じる理由〜

・ぼくはテレビのクイズ番組が大嫌い
・クイズ番組の馬鹿馬鹿しさとくだらなさ
・人間はいつまで他人に出題された問題を解いて満足するのか
・ぼくたちは自らの生命に託された「問題集」を見出し、さらには回答を創造すべきである

・ぼくはテレビのクイズ番組が大嫌い

クイズ番組というものがテレビのゴールデンの時間帯によく流れている。その種類も東大の賢い人が出演しているものから、バカっぽいタレントがバカっぽい答えを出して笑わせるものまで様々ある。実家に住んでいると親がクイズ番組を好きでご飯の時によく見ているのだが、ぼくはどのような種類のクイズ番組であろうと見ていてつまらなさすぎてうんざりしてしまう。どうしてこんなくだらない番組を見ているのかと尋ねたくもなるが、親が面白そうに見ているので特に何も言わずに我慢している。

親からすればクイズ番組を見ていると、自分も一緒になって問題を考えるから頭の体操になっているとでも考えているのだろう。もしかしたら馬鹿馬鹿しいお笑い番組を見るよりもクイズ番組を見ることで自分はもっと高尚なふるまいをしていると信じているのかもしれない。しかしぼくから言わせればクイズ番組なんてお笑い番組よりももっとくだらないもののように見える。

 

 

・クイズ番組の馬鹿馬鹿しさとくだらなさ

プロのお笑い番組を見ていると、普段の日常生活の会話の中でこのように切り返せば面白い発言ができるのかとそれなりにコミュニケーションの学びになるが、東大の素人が出ているクイズ番組などは愉快さも楽しさもなくただ問題を解いているだけである。気の利いた面白い情緒深いコメントも言えずにテレビの中で受験勉強のようにひらすらに問題を解いている姿を見ていると、そんなこと自習室の片隅でやればいいのにと思ってしまう。目立つのが苦手なのに目立ちたいというねじれの位置にある欲望が垣間見え、その自意識がテレビ画面から伝わってくるだけでも疲弊してしまう。

またバカっぽいタレントがバカっぽい答えを出して、周囲の人が無理して笑って盛り上げようとしているのも白々しい。そんなのにつられてこちらまで笑ってしまっては、ただ馬鹿馬鹿しいテレビ番組に感情を操られている馬鹿馬鹿しい人生を送ることになってしまうではないか。ジャニーズのそんなに賢そうにも見えない人がクイズ番組でバンバン答えて正解を出しているのも、ジャニーズという権力でそのタレントを聡明に見せかけるためにあらかじめ答えを教えてもらっているのではと怪しく思い、テレビの中でクイズの得点を競っていることすら意味のない茶番に思えてしまう。

このようにぼくはクイズ番組で好きな点がなにひとつなく、できるなら人生から極力遠ざけて生きていきたいのに、親がクイズ番組を好きなばかりにご飯を食べる時に一緒に見なければならないのは本当に苦痛である。

 

 

・人間はいつまで他人に出題された問題を解いて満足するのか

そもそも人間はいつまで、他人に出された問題を学校の試験のように解くだけで満足しているのだろうか。ひとつの答えしかないことがあらかじめ決められた問いかけを出題されて、教えられた法則や定められた記憶で回答して終了する、そんな学校の問題集を解くような人生をいつまで続けていくのだろう。

クイズ番組はまさに学校の試験や受験勉強のようである。ひとつの問題を出してあらかじめ決められたひとつの答えを導き出した者に得点と賞賛を与える。いくつもの答えが存在したり、確かな答えがなかったりする問題を出題するよりも、その方が点数化しやすいしそれにより人間同士を比較しやすい。ひとつの問題に決められたひとつの答えがある問題を羅列して、学校の先生は生徒に点数をつけ生徒間に優劣を生じさせ、また入試試験ではその点数によって合格か不合格かを決定する。

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全ては合理的に人間の能力を数値化し、人間を相対的な次元へと落とし込むことが目的であり、その合理化によって人間社会は効率的に回ってゆく。しかしその効率化によって、全体として絶対的に生きてきた人間の尊い魂が、部品として相対化されていくという残酷な真実に気づく者は少ない。

 

 

・ぼくたちは自らの生命に託された「問題集」を見出し、さらには回答を創造すべきである

ぼくたちは学校の勉強のように、ひとつの問題が出されたら決められたひとつの答えを導き出すことこそが素晴らしいのだという幻想をそろそろ捨てるべきではないだろうか。そのような呪いから抜け出せない貧しい思考たちが、くだらないクイズ番組に死ぬまで夢中になってしまうのではないだろうか。聡明な魂たちは、もはや学生時代のうちに気づいている。出題された問題をそつなくこなしているだけではまだ足りないのだと。世界や人生にはもっと困難な、答えが用意されないない難問がいくつも立ちはだかっており、ぼくたちは歯を食いしばりながらでもそれに向かって全ての魂で挑んでいかなければならないのだと。

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本当に大切なのは、上から押し付けられた決まり切った問題を涼しい顔してこなすことではなく、自らの生命に課せられた問題を自ら見出すことだ。それは自分自身にしか見つけることはできず、どんなに偉大な博士でも大臣でも他人ならば決して教えることができない。自分自身の生命に出題されている問題は何なのか。人間ではなく、権力ではなく、天から授けられた質問は何なのか。その問いを追求することはすなわち、自分がどうしてこの世に生まれてきたのかという問いに直結するのではないだろうか。もしもぼくたちにそれぞれの使命があったとして、その使命が見つからない時には、まず自分自身の生命に問いかけられている質問を見出すことだ。いつまでもクイズ番組の答えを考えていたり、問題集の答えを導きだせて喜んでいるようでは、曇り切った瞳のまま一生何も見えずに人生を終了することになるだろう。

さらに言えば自分自身の生命に問いかけられた質問を見出しただけで満足できるわけもなく、さらには答えのないその質問の回答を自らの手で創造しなければならないのだ。親も先生も先輩も上司も権力も教えてくれるはずのない天からの質問を自らの手で掬い上げ、さらにそこから一生をかけてその問題を解決していかなければならないから人生というのは忙しいし、一瞬で過ぎ去り終わってしまうだろう。どこにくだらないクイズ番組などを見ている暇があるだろうか。

ぼくたち個人に課せられた質問や問題はたった1問ではなく、いくつもいくつも連なった「問題集」をぼくたちは魂の中に隠し持っているのだろう。自分の中に「問題集」があるということを気づかずに人生が終わる人もある。「問題集」があることはわかっているけれど人間社会の部品としての生活に忙しくて答えを創造できない人もある。「問題集」を見て見ぬふりをして怠けながら浮世の生活に順応する人もある。「問題集」の回答を見出したくても創造する能力がなくて挫折する人もある。「問題集」の答えをやっと創り出せたとしても、本当にこれで正解なのか迷う人もある。答え合わせを、誰もしてくれない。

「問題集」を手にしたぼくたちの人生は、果てしない苦行の巡礼の道だ。しかし歩き出さなければ巡礼は始まらない。腕を天へとふりかざさなければ創造は始まらないのだ。まだ、歩き出してすらいない魂はいないか。傷つくことを恐れて、死へと通じることが怖くて、動き出せない魂はいないか。

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