絶世の美女の女神でも、めちゃくちゃ不細工な女神でも、男根が好きなの?!
コノハナサクヤヒメも山の神も同じ男根崇拝!絶世の美女でもものすごい醜女でも男根が好きというのは本当か?
・ぼくの「日本海沿いを北上する旅」+「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅
・ぼくが日本の男根崇拝を素晴らしいと思う理由
・山の神はとんでもなくブサイクの女神で、男根を好むという
・コノハナサクヤヒメという絶世の美女の女神にも、男根は祀られている
・絶世の美女でもものすごい醜女でも男根が好きというのは本当か?
目次
・ぼくの「日本海沿いを北上する旅」+「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅
ぼくは2020年の7月〜11月までの間ほぼ4ヶ月かけて「日本海沿いを北上する旅」+「北海道一周の旅」+「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅を達成した。その旅の詳細は旅ブログ「ミズイロノタビ」で随時更新している。
岡山県、広島県、山口県、佐賀県、長崎県、福岡県、大分県、熊本県、島根県、鳥取県、兵庫県、京都府、福井県、石川県、富山県、新潟県、山形県、秋田県、青森県、フェリーに車ごと乗り込んで北海道函館まで渡り、そのまま北海道の最北の離島、礼文島の澄海岬を「日本海沿いを北上する旅」の最終目的地とした。
そのまま北海道をぐるっと一周し、再びフェリーに乗って青森県へ!青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、長野県、岐阜県、山梨県、静岡県と「太平洋沿いを南下する旅」を完遂した。
・ぼくが日本の男根崇拝を素晴らしいと思う理由
ぼくが日本一周の旅を通して驚いたのは、日本人ってめちゃくちゃ男根崇拝していまという事実だった!ぼくは日本一周の旅の中で、隠れてあまり目立たない数々の男根崇拝の姿を目撃してきた。しかしぼくはそれを見て、卑猥だとかいやらしいとか一切思わずに、むしろ純粋な祈りの形が残されていて日本という国は素晴らしいという感想を抱いた。
人間は誰もが男根によって生命を誕生させた。それはどのような時代の人であっても、どのような国の人であっても、絶対に変わらない揺るぎない事実だ。自らの根源であることが確実である男根を崇め奉り崇拝するのは、あまりにも率直で直感的で清らかな祈りの姿ではないだろうか。人間は誰もが男根から生まれ、それゆえに人間が作り出した全てのものも男根より生じたと言っていいだろう。男根はぼくたちすべての人間にとっての故郷であると共に、あらゆる人工物、すなわち車とか、パソコンとか、今ここで使っているインターネットなんかも男根から生じた現象に他ならない。
人間はどんなに科学技術を進歩させて洗練されて行くように見えても、その生命の根源が男根である限り、野生的な男根の支配から逃れることはできない。ぼくたちを取り巻く全ての人間の生命、全ての人間の現象の故郷である男根を崇拝しようとした古代日本人の感性は、生命の真実としっかりと向き合おうとする強くたくましい意思が感じられて素晴らしい。いや、おそらく地球上の全ての民族がこの感性を古代には持っていたはずだ。しかしどんなに時代が経っても文化を発展させてもそれを退けず、かき消さず、過去の中に葬り去ることなく、今の時代まできちんと残し続けてきた歴史上の全ての日本人の感性の清らかさを誇りに思うべきだろう。
・山の神はとんでもなくブサイクの女神で、男根を好むという
日本各地に満遍なく広がっている男根崇拝の姿を見ていくと、男根を祀るのにもそれなりの伝説や理由があるようだ。たとえば山の神にはよく男根が祀られている。これは山の神が非常に醜い女の神であることに由来するという。
山の神はとんでもなくブサイクな女神で、だからこそ自分より醜い顔をしたオコゼという魚を供えると喜ぶのだという。またブサイクであるがゆえにあまり男根を見る機会も少なく、男が男根を見せると喜ぶという性質さえあるという。日本の山の伝統的な猟師であるマタギは、山で失くしものをしたときは自らの男根を丸出しにし、山の神に見せつけることで山の神の機嫌がよくなり失くしものを見つけ出してくれることを期待するという風習は日本各地に残っているらしい。
ぼくは日本一周の旅の旅の途中、島根県の八重垣神社に立ち寄り、その境内にある山の神の祠に巨大な木造男根が祀られているのを見て、山の神が男根を好むというのは本当に日本人の間で信じられているのだと、その信仰形態を実際に目の当たりにすることができて衝撃だったことは記憶に新しい。
・コノハナサクヤヒメという絶世の美女の女神にも、男根は祀られている
また長崎県雲仙の秘境神社では、巨大な石の男根と女陰が祀られていた。この秘境神社の名前は「木花聞那姫神社(このはなさくやひめじんじゃ)」だった。コノハナサクヤヒメと言えば絶世の美女の女神であることで有名だ。
天皇の祖先であるニニギノミコトが高天の原から降臨した時に、絶世の美女であるコノハナサクヤヒメに出会い「まぐはひせんと思ふ」と告げたという。なぜこの神社に巨大な石の男根と女陰が祀られていたのか謎だったが、この「まぐはひ(性交)」の物語が暗示されているのだろうか。そのまぐはひがあったからこそ、世界で最も長い日本の皇室が続いているというのだから、男根も女陰も尊いものであるに他ならない。
・絶世の美女でもものすごい醜女でも男根が好きというのは本当か?
その他にも日本には様々な男根崇拝の姿が見られたが、この2つの神社を参拝して気づいたことは、絶世の美女であるコノハナサクヤヒメにも、とんでもない醜女である山の神にも、同じように巨大な男根が祀られていたというなんとも奇妙な事実だった。
絶世の美女ととんでもなくブサイクな人というのは、一般的には対極の存在であると考えられている。もしも世の中に絶世の美女ととんでもなくブサイクな人が2人並んでいたら、受ける扱いもおそらくかなり異なってくるだろう。そんな正反対に位置する者たちが、男根という全く同じものを祀られているというのは不思議な現象だ。なんとなくの想像だが正反対な存在なのだから、美女に白を供えるならば醜女には黒を、美女に海の幸を与えるなら醜女には山の幸をなどと、反対のものを供えるように工夫してもよさそうなものではないだろうか。
しかし実際には日本の神社では、絶世の美女だろうがとんでもない醜女だろうが、同じ男根というものが祀られていた。これは美女だろうが醜女だろうが差別しない、同じものを供えるのだという古来からの日本人の平等な精神を暗示しているだろうか。もしくは美女だろうが醜女だろうが、本質は同じ女性という生き物であり、外見など関係なく女性というものは男根を求める性質があるということを示唆しているのだろうか。外見にとらわれるな、どのような外見であっても「女性」という本質を見極めれば誰もがみな等しく同じであるという古代からのメッセージが男根というものに集約されているのだろうか。
真実は謎のままだが、ぼくの中では、正反対に位置するものが、全く同じものを祀られているという事実が非常に興味深かったのだ。
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