高圧的な上司を生み出す儒教の目上目下システムは害悪!人を見下すような態度をとってもいいというのは本当か?

(この記事には広告が含まれる場合があります)

 

高圧的な上司は、害悪だ。

高圧的な上司を生み出す儒教の目上目下システムは害悪!人を見下すような態度をとってもいいというのは本当か?

・高圧的な上司や目上は害悪だ
・儒教はありもしない目上目下システムを植え付け目下を支配する宗教
・他人を尊敬しろという教えはまだいいが、他人を見下してもいいという教えは論外だ
・おかしな儒教の見下しシステムが日本におかしな高圧的上司を生み出す
・「他人を見下してもいい」と教える宗教は害悪

・高圧的な上司や目上は害悪だ

人生を生きていると様々な種類の人に出会う。大抵はいい人たちばかりなので人間関係に何の問題もないのだが、だからこそ変にふてぶてしい人や大人気なくすぐに怒る人、高圧的な人や攻撃的な人に出会うとその人の記憶が余計印象的に記憶に残ってしまう。特にそのような人が先輩や上司や目上にいると社会生活を営むにおいてかなり迷惑だ。

彼らは目上なので彼らに色々と教えてもらわなければ社会生活が成り立たないが、教えてもらうたびにいちいち変に気を遣うのはかなりのエネルギーの無駄遣いである。教えてもらうくせに偉そうに文句を言うなという意見もあるかもしれないがそれはかなりおかしな物言いで、どうせなら高圧的ですぐに怒り出すような人間として欠落した目上よりも、普通に接することのできる気を遣わない目上に教えてもらう方がはるかに心地よいに決まっている。

地位の高い者や権力のある者が高圧的で偉そうにふるまってもいいというのは本当か? 〜威圧的な人間は害悪〜

社会の人間関係において、何かおかしで歪んだ感性を持っているような人と付き合わなければならないと強制されることは苦痛であり、それにより人間は本来ならば抱えなくてもいいはずの様々な無駄な悩みを抱えることになるのだろう。高圧的な人間やすぐに怒る人間は、その存在だけでかなり周囲の大迷惑となり得る。その人が変に知識を持っていたり権力があったりすると、組織の空気が居心地の悪い不快な方向へと傾いていくのだ。

 

 

・儒教はありもしない目上目下システムを植え付け目下を支配する宗教

しかしこの日本社会において、彼らが高圧的な人間に育ってしまったのはある意味必然なことかもしれない。なぜなら儒教の思想に洗脳されたこの日本では、目上目下のシステムが成り立っており、目下は必ず態度や敬語を用いて目上を敬わなければならないと強制されるが、逆に目上は目下を見下してもいいという異常な空気が社会全体に充満しているからだ。

ぼくは初めて先輩には敬語を使えといきなり強制された中学1年生の頃から、この儒教的な目上目下のシステムはおかしな洗脳だと違和感を感じざるを得なかった。これは目上が都合よく目下を支配するためのシステムであり、民衆が自分の意見を持ったり反抗してこないように、ただただ部品のようになり大人しく服従させるための権力者による奴隷システムではないかと見抜いていたのだ。

儒教と敬語のシステムが日本人の精神構造にもたらす影響とは?!この世には目上と目下の人間がいるというのは本当か?

日本人を思考停止した社会に都合のよい歯車にするための3つの仕組みを徹底解説!人間は部品になるべきだというのは本当か?

人間は支配される運命にあるというのは本当か? 〜支配されたくない者たちへ〜

そしてぼくの予感は、決して外れていなかったと大人になった今でも思う。日本人は儒教の思想から、ありもしない目上目下の観念を植え付けられることによって、目上には自分の意見を率直に言うことも表現することもできずに、自分の考えも言葉も持たないフリをして、ただただ大人しく服従するための腑抜けな奴隷になってしまう傾向がある。せっかく尊い生命をこの世に与えられたのに、そのような生き方でいいのだろうか、いやいいはずがない(反語)。

 

・他人を尊敬しろという教えはまだいいが、他人を見下してもいいという教えは論外だ

目下は目上を必ず尊敬しなくてはならない。これは儒教的システムの強制である。無理矢理にでも否が応でも、ぼくたちは絶対に目上を尊敬しなればならず、その尊敬を表現するために、態度を恭しく丁寧にしたり言語形態まで変えて敬語で話したりしなければならない。

しかし本来ならばぼくたちは尊敬する人を、その人の人となりや人間性を見ながら自分自身で判断しなければならないのではないだろうか。ぼくたちは自分が尊敬したいと願う人を、尊敬しながら生きていくべきだ。全ての人間が平等であるこの世界の中で、ぼくたちは全ての人間に同じ価値があるという観点からまずは初めて、そこを起点として、世の中の人々を見渡した結果その人を尊敬できると自分自身で判断したならば、その人を心から尊敬しながら生きていくというのが本来の人間のあるべき姿ではないだろうか。

しかし異常な儒教的社会ではどうだろう。儒教的社会では既にもうぼくたちの尊敬すべき人が決まっている。ぼくたちが自分自身で誰を尊敬したいかを決める前に、思考停止してこれらの人々を尊敬しろと儒教社会は強制してくるのだ。それは年上の人々、上司の人々、目上の人々である。そして彼らを絶対に尊敬しなければならないと勝手に決めつけられた挙句、彼らに自分の意見を率直に言うことも表現することも許されなくなり、ただただ目上という権力に抑圧された部品としての日々を送ることになる。こんな人生がまともにいくはずがない。

 

・おかしな儒教の見下しシステムが日本におかしな高圧的上司を生み出す

儒教社会の中では、目下は絶対に目上に敬語を使わなければならないと強制される。しかし目上は当然目下に偉そうにタメ口を聞いていいのだ。これがぼくの中では全く不可解だ。

人間が他人を尊敬するのはいいことだ。誰にだって尊敬すべき側面があるのだから、ぼくたちは全ての人間を尊敬すべきだろう。しかし、尊敬されたなら尊敬の気持ちを返すことが、人間として当たり前の礼儀ではないか。人間は全ての人間を尊敬すべきであるし、そして誰ひとりとして見下してはならないはずだ。それが儒教社会ではどうだろう。

目下は目上に尊敬を与える。普通ならばそこで相手が尊敬してくれているのだから、尊敬された目上はお返しに相手の尊敬できる部分を認めて、尊敬を返し丁寧にふるまおうとするのが人間として当然の思考回路だ。しかしおかしなことに儒教社会ではそうではない。目上が目下に尊敬の態度を取られたならば、自分は尊敬されて当たり前だという横暴な態度を示し、尊敬されているにもかかわらずそのお返しに目下には「見下し」を与えるのだ。目下は目上に敬語で話し、目上は目下に乱暴にタメ口で話してもいいというおかしな文化がこの事実を示唆している。

目下は目上を尊敬するように強制されるのに、目上は目下を尊敬しなくてもいいと見なされているどころか、目上は目下にいくらでも見下した態度を取って構わないという空気が、儒教社会には充満している。全ての人間が平等で同じ価値を持つはずの世界の中で、こんな欠陥システムが今でもなおまかり通っていることがぼくには信じられない。他人を尊敬しろと強制することは百歩譲ってまだ理解できるとしても、その仕返しに他人を見下してもいいという空気を作り上げるという点において、儒教による支配は完全に異常だと言わざるを得ない。

 

 

・「他人を見下してもいい」と教える宗教は害悪

目下が目上を尊敬するように強制する代わりに、目上は目下をいくらでも見下しても構わないという儒教的なおかしな風潮が、高圧的で怒りっぽい、社会の害悪となる目上や上司を作り上げてしまっているのではないだろうか。彼らは目下にはいくらでも横暴にふるまってもいい、遠慮せずに怒鳴り散らしてもいい、攻撃的になって怯えさせても構わないと、儒教的観念にのっとることで勘違いし、おかしな人間性を形成してしまったのではないだろうか。

普通に考えて、そのような種類の人間になってはならないことはまともな人間ならばすぐにわかるはずだ。にもかかわらずそのような人間に仕上がってしまったということは、彼らの本来の人間性に問題があったという部分もあるかもしれないが、それに加えて「他人をいくらでも見下しても構わない」のだと、見下しの許容を与えるおかしな儒教的思想の洗脳にも大きな問題があるのではないだろうか。

人を尊敬しろと強制するのはまだ理解できる。しかし「他人をいくらでも見下して構わない」という目上から目下への見下しの空気が、明らかに儒教思想によって作られているという点において、ぼくは儒教を全く信用できない。普通に考えて「他人をいくらでも見下してもいいですよ」と言っている宗教なんて、まともなものだと思えるだろうか。そんなのは怪しくて遠ざけるべき思想だと、幼稚園児でも理解できるだろう。日本はいつまで古来中国からやってきた儒教思想にしがみつきながら社会を構成していくのだろうか。他人を見下しても構わないという害悪にしかならない思想を伝える宗教に、いつまで傾倒するつもりだろうか。

中国語からはもはや敬語システムは消滅しているという。中国人の友達に教えてもらったところによると昔の古代中国語には敬語というシステムがあったが、今はもはやなくなってしまっているという。中国語では目上目下システムを言語的に除去することに成功しているようだ。中国では既に除去が完了しているシステムを、日本はいつになったら手放すことができるのだろうか。発祥の国ではもはや手放しかけているという儒教システムを、末梢の国がいつまでもしがみついていてもいいという謂れはない。

儒教を生んだ国!中国には敬語がないというのは本当か?

家族内敬語に目上目下の上下関係!韓国は儒教思想の強い国であるというのは本当か?

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

敬語が必要というのは本当か? 〜儒教による階級の作成と尊敬の強要〜

目上に対して自分の意見を率直に言ってはいけないというのは本当か? 〜逆らうという儒教の悪意〜

徹底的な儒教のヒエラルキー!年上を敬うべきであるというのは本当か?

 

関連記事