日本の伝説には醜い女性の神様がいっぱい!!!!!
イワナガヒメや日本の山の神!醜女(ブス)を怒らせると怖いというのは本当か?
・「不細工」をキャラクターとして笑いをとる浅香あき恵
・中島みゆきに送られた「わたし、世界で一番のブスです」のハガキ
・日本の山の神様は醜い女性の神
・醜いイワナガヒメにより神様から永遠の命が奪われた
・醜かろうと絶世の美女だろうと男根を等しく祀る日本の風習
・男根崇拝の旅の記事一覧
目次
・「不細工」をキャラクターとして笑いをとる浅香あき恵
吉本新喜劇を見ていると常に「ブッサイクやな〜〜〜」と言われることで笑いをとっている浅香あき恵というおばちゃんがいる。女性にとってかなり不利である「不細工」という特徴を逆手にとって笑いをとることでお金を稼いでいるなんて、ものすごい発想だし力強い女性としてのたくましさを感じずにはいられない。
普通女性が「不細工」だなんて面と向かって言われようものならショックのあまり塞ぎ込んでしまうし、二度とそんなこと言われたくないと誰もが切実に願うだろう。しかし「不細工」ということをキャラクターとして、公然と言い放たれる「不細工」という悪口に立ち向かい、逆らい、歯向かうことで舞台上で笑いをとるというそのシステムは、見る者を圧倒させる力がある。
女性がこんなに「不細工」「不細工」と言われて続けても舞台に立ち続けられる逆説的な存在感は目を見張るものがあるし、さらにその様子を見て大笑いをし、女性に不細工と言うなんてとんでもないと正義をふりかざしながらヒステリックに非難するわけでもなく、ありのままの「不細工」キャラを受け入れて心から愛している関西の人々の寛容さも注目に値する。
・中島みゆきに送られた「わたし、世界で一番のブスです」のハガキ
以前中島みゆきのオールナイトニッポンに送られてきた「わたし、世界で一番のブスです」という衝撃的な書き出しから始まる女の子の手紙を紹介した。その女の子は自分がブスだからいじめられ、ひどく悩み生きるのも苦しいのだという。それに対する中島みゆきの返答は感動的だ。
中島みゆきの返答は上の記事で詳細に紹介したが要約するとこういうことだった。「女の子は金さえかければある程度いくらでも美人になれる。顔っていうのは金さえかければいくらでも作れる。」とブスであるということに対する実践的で具体的なアドバイスを、同じ女性という立場あるいは年上のお姉さんという立場から行う。しかしその上で「金かけて綺麗になれないものもある」と金をかけて完成される美しい外見だけが人間の全てではないと主張し「コンサートの日は あんたのままの あんたで おいでよね」という優しい言葉でこの日の放送は終了となった。
なるほど確かに金をかけ化粧をして美しくなるというのは、ブスであることに対する最も効果的で簡単な対処法だろう。しかし中島みゆきが言うように外見ばかり磨いても人間としての幸福は訪れないのかもしれない。重要なのは「あんたのままのあんた」というものを心から受け入れることではないだろうか。周囲からいくらブスだと言われようとも、他人の評価なんか気にせず、自分でありのままの自分を好きだという強い気持ちと信念さえ保っていれば、生きるのもいくらか楽になれるに違いない。
そういう観点から言えば浅香あき恵という女性は、不細工ということも自分のキャラクターとしてありのままに受け入れ開き直ることで、人々に笑いを提供したり世の中を明るい気分にさせてくれ、さらにそれでお金まで稼ぐというのだから、彼女こそブスの具体的な対処法をその身をもって示してくれている好例だろう。美人かブスかと言われれば誰もが美人の方がいいと答えそうなこの世の中において、実際には生まれつきの美人なんかには到底できない、ブスにしか果たせない力強く尊い使命や役割があるのではないだろうか。
・日本の山の神様は醜い女性の神
日本の神話や伝説の中にも、醜い女性というものは度々登場し、その独特な存在感を解き放ち、人間世界において重要な役割を果たしている。ぼくが以前も紹介したのは、日本の山の神様がとんでもなく醜いという伝説だ。
山の神様は大変醜く、川の水面に映った自分の顔を見て、あまりの醜さに引きこもってしまった。山の神様は田の神様でもあるので、作物が育たなくなって困った村人たちはおかしなお面をかぶったまま歌って踊り、山の神を慰めようとしたが、そのおかしなお面で人々は自分の醜さをからかっているのだと勘違いして、さらに怒って大暴れして大地震が起きてしまう。結局は長老のアドバイスを受け、山の神より醜いオコゼという魚を祀ることで山の神の怒りは鎮まったのだった。
この山の神の伝説はぼくたちに何を伝えようとしているのだろうか。まさか醜い女性を怒らせると大変な目に遭うという教訓なのだろうか。しかし醜い女性を怒らせると大変な目に遭ったという天皇にまつわる神話が「古事記」「日本書紀」にも記されている。
・醜いイワナガヒメにより神様から永遠の命が奪われた
「古事記」「日本書紀」にも出てくる醜い女性の神の名は、イワナガヒメだ。
ニニギノミコトという天皇のご先祖にあたる神様が、高天原(タカアマハラ)という神様の国から九州の高千穂へ降りてくる。そこで絶世の美女と言われるコノハナサクヤヒメを見つける。ニニギノミコトは出会ったばかりで「まぐはひせむと思ふがいかに」とコノハナサクヤヒメを誘う。コノハナサクヤヒメも「いいよ、でもお父さんに聞いてからね」と答え、結局ふたりは“まぐはひ(性交、結婚)”することになる。
しかしコノハナサクヤヒメの父親であるオオヤマツミの考えで、絶世の美女であるコノハナサクヤヒメだけではなく、なんとお姉さんのイワナガヒメまで送られてきて、姉妹一緒に結婚するように申し込まれたのだった!ニニギノミコトがイワナガヒメを見ると、大変醜い顔だったので、美女のコノハナサクヤヒメだけと結婚し、イワナガヒメは送り返してしまった。
それを知った父親のオオヤマツミは嘆き悲しみ「わたしが2人の娘を送ったのには理由がある。姉のイワナガヒメは岩のように固い長寿を意味し、妹のコノハナサクヤヒメは、花のように栄えることを意味する。コノハナサクヤヒメとだけ結婚したので、天つ神の御子であるニニギノミコトは、木に咲く花のように短い寿命になるでしょう」と言われた。本来は高天原の神々に寿命はなかったが、この時点から神々にも寿命ができてしまったのだという。ニニギノミコトの子孫である天皇に寿命が存在するのもこの出来事が原因なのだろう。
このように醜い女性がきっかけで本来永遠に生きられた神様に寿命まで作らせてしまうのだがら、醜い女性というのは恐ろしいと同時に、それだけ絶大な底知れぬパワーを感じさせる。山の神様の伝説も、「古事記」や「日本書紀」などの神話も、醜い女性を怒らせると大変な目に遭ってしまうので注意が必要だということを伝えているようにも思える。人の世の中では美しい人と醜い人ならばいつも美しい人を選びとってしまう傾向にあるが、美人には美人に役割があり、ブスにはブスに役割があり、どちらも代えがたい尊い存在感を担っているのだから、本来そこに上下などなく、そのどちらをも尊重して生きていくことが大切なことかもしれない。
・醜かろうと絶世の美女だろうと男根を等しく祀る日本の風習
日本の醜い山の神様の逸話としては、あまりに醜いので男から言い寄られることも少なく、それゆえに男根を見せると喜ぶという伝説が、日本中に残っているということだった。山の中で失くしものをすると、男根を丸出しにして一周し山の神に見せつけるそぶりをすると、山の神が喜んで失くしものを返してくれるという。ぼくが島根県で訪れた島根県の八重垣神社では、山の神の祠にまさに巨大な木造男根が祀られていた。
またぼくが長崎県雲仙でポケモンGOをしていてたまたま秘境神社のような場所へ迷い込むと、なんとそこには巨大な男根と女陰の像が飾られていた!この神社の名前は「木花聞那姫神社(このはなさくやひめじんじゃ)」だった。ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの「まぐはい」という行為が、具体的な男根と女陰として表現されているのだろか。そのまぐはひこそが、世界でも類を見ないほどに長い日本という国と皇室の歴史を繋いできた根源だからだ。
このように日本各地では醜い女性の神(山の神)であろうが、絶世の美女の神(コノハナサクヤヒメ)であろうが、男根を祀られていたことは印象深かった。これはたとえ醜かろうが絶世の美女であろうが、男根の前では変わらないただのひとりの女性なのだという、美醜を超越した女性の真理を表しているのだろか。
・男根崇拝の旅の記事一覧