ヨーロッパ植民地支配のおそろしさ!力が強ければ人に優しくできるというのは本当か?

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力が強い人は善良で優しくあってほしいけれど…。

ヨーロッパ植民地支配のおそろしさ!力が強ければ人に優しくできるというのは本当か?

・中島みゆき「この世で最も人を傷つけるのは、この世で最もか弱いもの」
・この世で最も力の強い人がこの世で最も優しいというのは本当か?
・アンパンマンはいつも力を善良な目的で使い人助けをしている
・ジャイアンは力持ちだが力を暴力と支配に利用する
・西洋人の植民地支配が教える力持ちの人間の末路

・中島みゆき「この世で最も人を傷つけるのは、この世で最もか弱いもの」

中島みゆきの夜会「問う女」は、言葉が持つ本来の意味を追求することがテーマの、まさに夜会=言葉の実験劇場にふさわしい音楽劇だった。ぼくはDVDでしか「問う女」を見たことがないが、「問う女」は中島みゆきの夜会の中で最も好きかもしれないと感じるほどに心に残る作品だ。特にその冒頭のナレーションはぼくの胸を打ち、強く印象に残っている。

中島みゆき夜会「問う女」と毛虫の関係!自分がか弱い存在だからと言ってあらゆる他者を傷つけてもいいというのは本当か?

”綾瀬まりあさん(夜会「問う女」の主人公の名前)、傷きつやすい自分だと思いましたか
けれど、この世の中で、人を傷つけてもいいとふりかざす理由はいつだって
自分が傷つきたくないための理由ではありませんか

この世で最も人を傷つけるのは、この世で最もか弱いものなのではありませんか”

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この世で最も人を深く傷つけるのは力が強く暴力的な人物のように思われるが、そうではなく実際はこの世で最もか弱い存在が最も人の心を傷つけてゆくのだと指摘する。確かに犬なんかでも大きくて強そうな犬はあまり吠えないのに、小さくてひ弱そうな犬はキャンキャンとよく吠えるが、そういうのが人間にも当てはまったりするのだろうか。夜会「問う女」はこの世で最も心のか弱い女が、そのか弱さゆえに関係のない他人を傷つけ、やがては死にまで至らしめるという悲劇の物語である。しかしその悲劇の裏側で、主人公は言葉の本質について気づきを得るのだ。

 

 

・この世で最も力の強い人がこの世で最も優しいというのは本当か?

それでは「この世で最も人を傷つけるのは、この世で最もか弱いものだ」というのなら、この世で最も人を傷つけないのは、この世で強い者だといえるのだろうか。世間一般的には力持ちの男性は優しくて頼りになるというイメージがあるが、そんな感じでこの世では最も力の強い人がこの世で最も優しく人を傷つけにくいのだろうか。力持ちの人がいてその人がそれを暴力や悪事に使わずに、人助けや善良なことに使ってくれるならなんだか心温まる話だし、そうあってほしいと願ってしまうが実際のところはどうなのだろうか。

 

・アンパンマンはいつも力を善良な目的で使い人助けをしている

力持ちでみんなに優しいと言ってまず思いつく正義の味方といえばアンパンマンである。アンパンマンは力持ちだからみんなの役に立っているし、強力なアンパンチでバイキンマンをやっつけて世界の平和を守っている。アンパンチは自分自身の強い力を暴力に転換させているような気もするが、悪をくじくときにしか使わないし普段はその強い力を人助けのために使っているので、アンパンマンを見ていると力持ちになれば人は優しくなれるのだと言い切ることができるような気がする。

 

 

・ジャイアンは力持ちだが力を暴力と支配に利用する

しかし今度はドラえもんのジャイアンを見てみるとどうだろう。

ジャイアンはドラえもんのキャラクターの中ではどう見ても一番の力持ちだ。けれどその強力な力を使って人の役に立っているという場面は実に少ない。映画などではたまにその力強さで活躍することもあるが、普段のアニメの中ではのび太やスネ夫にすぐに乱暴し、暴力をふるい自分の言うことを聞かせるためにその力強さを使っているようだ。

ジャイアンはアンパンマンのように世界平和や人助けのために自らの力を使うわけではなく、むしろその逆に人々に暴力をふるい、自分が最も力強い人物だとその力を誇示し、強調し、脅すことによって友達たちを支配し、小学生の人間集団を自分の意のままに操ろうとする光景が見て取れる。ジャイアンはアンパンマンのように自分の力強さをあまり善良なことに使っておらず、逆に人間集団を自分の思い通りに支配するためという悪い使い方をしているように見える。

暴力はいけないことだと人間社会はいつも訴え、叫び続けているにも関わらず、実際の世界は現代においても暴力が得意な者たちが暴力が不得意な人々を支配し、ねじ伏せ、搾取しているような構造が見て取れる。

 

 

・西洋人の植民地支配が教える力持ちの人間の末路

暴力が得意だから暴力の不得意な人々を無理矢理支配し、自分の都合のいいように搾取していたといえば「植民地」という言葉が思い浮かぶ。近年西洋人たちは科学技術や武器を発達させ、そこから得た力を暴力へと転換させることによって、暴力の不得意な世界中の人々を無理矢理支配してきた。東南アジアのほとんどの国、アフリカのほとんどの国、オーストラリア、アメリカ大陸に至るまで、暴力の不得意な人々を暴力でねじ伏せ、植民地化し支配していった歴史は知られている通りだ。植民地化に都合のよい手段としてキリスト教の布教があったことから、日本を支配されないためにキリスト教を禁教にした昔の幕府はかなり聡明だったのだろか。そのおかげもあって日本は他のアジアの国々のように植民地化されずに済んでいる。

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西洋人の植民地化や支配を見ていると、人間はたとえ力持ちになったとしてもそれをアンパンマンのように善良なことばかりに使うことは困難であり、「力」はやがては暴力や虐待や人殺しに変換され、最終的には平和に暮らしている素朴で暴力の不得意な人々を支配し搾取しようという考えに行きついてしまうのが人間の本性なのかと疑わしく感じざるを得ない。歴史を勉強していると強力な技術や武器や力を持った西洋人は、そのようにして暴力の不得意な世界を次々に支配して搾取していったようだ。人間というのはアンパンマンにはなれず、実際にはみんなジャイアンなのだろうか。

これが”西洋人”だからこのように暴力や支配や搾取に繋がっていったのか、世界の誰もが力を持ってしまえばこのような虚しい行いへとたどり着いてしまうのか、ちょっとよくわからない。例えば日本人でも西洋人のように世界に先駆けて強力な武力や技術を発展させたならば、世界の全てを暴力で残酷に支配し、搾取したいと考えるのだろうか。人間は個人個人としては極めて善良であっても、人間集団になっていくにつれて思想が激しくなり極端になってゆく性質があるので、どのような民族であろうとやはり最終的に力持ちは暴力と支配へと行き着くものだろうか。世界のどこかに力を蓄えても、それを悪に支配されず、善良なことだけに使用できるアンパンマンのような人々はいないものだろうか。

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人間の歴史を眺めていると、とても「最も力の強い人がこの世で最も優しく人を傷つけにくいの」とは言いにくい。そうであってほしいと強く願ってしまうけれど、現実的には人間はそれほど善良で素敵な動物ではないのかもしれない。

 

 

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