ぼくたちの「人生の目的」は死なないこと、安定した生活を手に入れることだというのは本当か? 〜魂の浄土〜

 

ぼくたちは誰もが、死にたくはない。

ぼくたちの「人生の目的」は死なないこと、安定した生活を手に入れることだというのは本当か? 〜魂の浄土〜

・学校はぼくたちに世渡りの方法を教えてくれる
・人はなぜ生きるのか、わからないまま人は生きる
・「死にたくない」というとりあえずの消極的な生きる目的
・「死なないこと」よりも大切なことを人生で見出せ
・知床半島の鮭の遡上を見て書いた詩「命よりも」

・学校はぼくたちに世渡りの方法を教えてくれる

ぼくたちは小さい頃から、学校で勉強する。算数国語理科社会など様々な種類の学問を先生から教えられ、その中から自分の得意な科目を見出すことで、将来お金を稼ぐためどのような労働に従事するかを決めるための参考にするというのが、大抵の人間の人生の流れとなっている。ぼくたちは学校で、人としてどのように生きていくかの流れを大まかに掴み、世渡りを覚えていくようだ。

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しかし、学校ではぼくたちはどのように生きていくべきかの小手先の方法を教えられても、人間がなぜ生きていくのかを教えてくれるという機会はない。ぼくたちは子供の頃から、なぜ生きていくのかを誰にも教えられず示されないままで、急にどのように上手に生きていくのかを教え込まれる。けれどいくら器用に世の中で生きていく方法ばかりを教え込まれても、その土台となる「人はなぜ生きるのか」「人生の目的とは何なのか」という根本的な思想が確立していなければ、揺らぐ水の上に浮かぶ砂の城のように、人生は虚しく崩れ去ってしまうのではないだろうか。

ぼくたちはもっと、「人はなぜ生きるのか」「人生の目的とは何なのか」をこの生命をかけて考察すべきではないだろうか。その答えを出すのがあまりに困難で手間がかかるので、学校や親から決して教えてもらえないというのなら、自ら孤独にその答えを追求しながら人生を歩いてゆく他はない。

 

 

・人はなぜ生きるのか、わからないまま人は生きる

しかしいざ急に「人はなぜ生きるのですか?」と問いかけられてみても、鳩が豆鉄砲をくらったような思いがする。なぜ生きるのかとそんなこと急に言われたってよくわからない。ぼくたちは確かに今生きているのに、なぜ生きているのかわからないままなのだ。確かにどうせ自分は死ぬとわかっているのになぜ頑張って生きるのだろうか。必死に子孫や名誉をこの世に残しても、結局地球は太陽に飲み込まれて消滅してしまうと決まっているのだからそんなこと何の意味もない。ぼくたちはなぜ生きているのだろうか。

なぜ生きているのかあまりよくわからずに曖昧なままだから、自分がどのように生きるべきかの真実の羅針盤さえ見出せずに、心が虚ろに彷徨ってしまう。

 

・「死にたくない」というとりあえずの消極的な生きる目的

なぜ生きているのかわからなくても、人々の心の中には「死にたくない」という確かな思いが存在する。「死にたい」「自殺したい」と考える人も少しだけいるかもしれないがそれはごく稀なケースで、この世の大抵の人々は確固たる「死にたくない」という思いを抱えつつ生活していることだろう。「死にたくない」というのは理屈ではなく、生命に与えられる直感的な本能なのだ。

自分がどのように生きていくべきかを考えたときに、「人はなぜ生きるか?」を根拠にしようとしても大抵の人はそれを見出し切れていないので思考の支えとして頼りにならない。それならばなぜ生きていくのかわからなくても、自分の内側に確かに感じる直感的な「死にたくない」という思いを思考の支えにしてみようということで、人は「なぜ生きるのか」という積極的な問いかけではなく、「死にたくない」という消極的な面から人生を鏡に映し出すことで、自分の人生をとらえようとする。

とりあえず「死にたくない」思いから導き出される人生は、とりあえず安定して生きていればいいだろうという消極的な居直りではないだろうか。自分は何のために生きているのかわからない、自分がなぜ生まれてきたのかわからない、けれどとりあえず死にたくはないという思いは自らの内側に存在している、それならばどのように生きるべきかわからなくても、とりあえず安定して周りのみんなと同じように生きていれば間違いはないだろう。

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このようにして「なぜ生きていくのか」を見出さない人々は、とりあえず食いっぱぐれのない安定した生活を人生の目的として選び取り、周囲に悪口を言われない程度にみんなと同じような人生を歩んでいくことで心を安心させる。そのうちに中年となり、老人となり、あれ自分はどうして生きているんだっけと考える暇もなくぽっくりとあの世へ旅立つだろう。しかし本当に人生の目的とは、「死なないこと」「安定した生活」を維持するという消極的な観念でしか表現されないものだろうか。

 

 

・「死なないこと」よりも大切なことを人生で見出せ

「死なないこと」よりも大切なことを人生で見つけたとき、実は本当の人生は始まるのではないだろうか。むしろ死んだっていいんだ、常識で考えれば死んでしまうほどに危険な道のりだけどそれでも自分はそこへと旅立ちたいのだという人生の目的地を見出したとき、人の魂は生きながらにして生まれ変わるのではないだろうか。

それを人生の目的地と定めてしまえば死んでしまうかもしれない、生きやすい安定した生活を手放してしまうかもしれない、それでも、恐ろしいけれど、危険だけれど、傷だらけになることは目に見えているけれど、自分はそこへと魂と旅立たせなければならない気がする、そのような純粋で透明な直感に導かれ始まる人生こそ、本物なのではないだろうか。

死なないために生きるなんて浅ましいことだ。安定した生活を夢見るなんて虚しい道だ。ぼくたいはいつだって人生の旅路において、自分の生命にとって「死なないこと」よりも重要な何かを見出すために瞳を見開いているべきではないだろうか。あなたの人生には「死なないこと」よりも大切な何かがあるだろうか。安定した暮らしなど惜しくはないと思うほどに、野生的な情熱があるだろうか。死んでも構わないからたどり着きたいと願う、人生の目的地、魂の浄土は存在しているだろうか。

 

 

・知床半島の鮭の遡上を見て書いた詩「命よりも」

北海道の知床半島で鮭の遡上を見て、衝動的に詩を3つ作ってみた「妨げる柵」「命よりも」「真の敗者」

”死なない事が最も重要なことだと
僕達はいつも安全な場所へと逃げ込む

傷つかぬ暮らし
安定した蓄え
争わぬ人間集団

けれど死なない事を越えて
傷つかない日々を終えて
その先に生命の意味を見出すとき
人は生きながらにして生まれ変わる

大いに傷つきながら
生命よりも大切な炎を携えてゆけ”

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ぼくたちは死なないために生きているというのは本当か? 〜死に近い海は命を励起する〜