どうでもいいことに人間は惑わされすぎている。
それが重要な問題であるというのは本当か? 〜どうでもいいことに振り回される人々〜
・それは本当に重要なことですか?
・みずいろてすとの本質は浄化
・ぼくができるすべてのことはremove
・本当はそれはどうでもいいことなのではないだろうか?
・どうでもいいことを増やしていこう
・それは本当に重要なことですか?
人間によって重要なことは違う。それゆえに何を重要な問題と真剣にとらえるかは人それぞれとなる。それでも今の世の中、生命とあまり関係のないこと、真実とまったく関係のないことが、あまりにとりだたされ重要視されずぎではないだろうか。人間関係のしがらみや、どうすれば世渡り上手になれるか、目立たずに傷つかずに生きていけるか、あるいは目立って虚栄心を育めるのかと考えすぎて、本来はどうでもいいことについて考えすぎ、心はひどい迷妄の中にいるのではないだろうか。
・みずいろてすとの本質は浄化
この「みずいろてすと」のブログは、あまり誰からも思考されずに自然と世の中でそうだと言われている常識的な物事や考え方が、実際に思考を深めた際に本当にそうであるのがふさわしいのか検証したいという思いで成り立っている。誰もが疑わずにそうだと信じて、しかもその考え方によって浮世でひどく苦しめられているけれど、本当はそうじゃないんじゃないか、その”常識”は人間集団の中で浴びせられた一種の呪いであり、その呪いを思考により解き放つことにより人々と自分自身が苦海から救われるのではないかと祈ってやまない、いわば浄化の作業である。
・ぼくができるすべてのことはremove
そしてこの「みずいろてすと」には、世の中で厳しく言われていることの大半は生命や真実にとって実際”どうでもいい”ことなんじゃないかという深い疑いが込められている。ぼくたちは集団の秩序や整合性を乱さないために、あまりにも常識や規則を押し付けられすぎてはいないだろうか。集団を保つため、大人しくさせるためにかけられた”常識”という呪いは、実際は別にどうでもいい、取るに足らないことなのではないだろうか。本当はどうでもいいことに日々の生活やものの考え方を束縛され、乱され、それによってひどく人の世で生きにくくなっているのではないだろうか。
解放が必要だとは思わないか。この世のあらゆる”どうでもいい”ことを排除して、本当に大切なものだけをこの生命に宿し、育んでいく。それが真実にとって最も重要なことではないだろうか。しかし本当に大切なものは何か、人々はまったくわからずに困惑し、見つけ出せないままに虚しく一生を終える。あふれ出し乱れる言葉たちの中で、とめどなく押し寄せる情報の中で、愚かしい欲望や退けきれていない権力を追い祓い、真実だけを追い求めるのは容易いことではないのかもしれない。
ぼくができるすべてのことはremove(取り除く)ことだけだ。この世にあふれかえる”どうでもいいこと”を取り除き、心の中から追い祓い、生命や真実にとって本当に大切なものだけを宿し、育んでいく。”どうでもいいこと”にばかり洗脳されたこの世界で、それは容易い道ではない。しかし極めて険しい道だからこそ、ぼくは立ち向かっている価値があると信じている。
・本当はそれはどうでもいいことなのではないだろうか?
年齢や数字なんてどうでもいいことではないだろうか?
他人から誤解されることなんて取るに足らないことではないだろうか?
世の中で異常だと見なされることが恐ろしいだろうか?
自分を醜いと思い込まされてはいないだろうか?
自分を罪深い存在だと責め続けてはいないだろうか?
自分を愛することにたじろいではいないだろうか?
この世に目上や目下などが本当にあるのだろうか?
勝つことや負けることにこだわりすぎてはいないだろうか?
孤独の真ん中に取り残されたように嘆き悲しんではいないか?
他人に迷惑をかけても別にいいのではないだろうか?
他人にどう見られているかなんて取るに足らないことではないだろうか?
この世では人間ときちんと向き合い争ってもいいのではないだろうか?
自分は自分にとって特別な存在だと可愛がってやってもいいのではないだろうか?
そんなこと、生命や真実にとってはどうでもいいことなのではないだろうか。
・どうでもいいことを増やしていこう
心の中に”どうでもいいこと”を増やしていこう。人々がどんなにそれは大切なことだと主張しても、彼らが自分の脳で考え思考していない限りは、ぼくたちは自分自身で考え直し、実際重要だと世の中で言われているそのものの正体が”どうでもいいこと”であると見なしたならば、おそれることなく退けていこう。
既に多くを植え付けられたぼくたちにとって、remove(取り除く)することだけが、浄化され真実へと続く道。人々は重要だと思い込んでいた物事を振り払う他者を見て、恐れるだろう、心乱れるだろう、怒りにふるえるだろう。しかし彼らの瞳の中に、植え付けられた偽物や思い込まされた洗脳の片鱗を見るならば、ぼくたちは迷うことなくぼくたちの道を歩もう。