言葉が通じるのがよいというのは本当か? 〜言葉よりも大切なもの〜

 

1ヶ月に渡るシベリア鉄道・ロシアの旅も終わりを告げてしまった。ロシアはぼくの中で愛すべき国のひとつとなり、またこの一生で訪れることになるだろう。ロシアの大地やそこに住む素朴な人々から学び取ったことは数知れない。その中に言葉に関する教えがある。

言葉が通じるのがよいというのは本当か?

・ロシア人は英語を話さないというのは本当か?
・ロシアの語学の教育制度
・世界で大切な言語は時代によって違う
・フィンランドでは誰もが英語を話す
・ロシアが教えてくれた言葉が通じない尊さ
・自作詩「祖国」

・ロシア人は英語を話さないというのは本当か?

よくロシア人のイメージとして英語を話さないというのが挙げられる。その上あの暗号のような、しかし神秘的な印象のあるキリル文字が街にあふれ、旅人に余計に言葉を把握しにくく感じさせることだろう。それゆえ、ロシアは旅する難易度が高そうな印象を人々に与える。さて、ロシア人が英語を話さないというのは果たして本当なのだろうか?

結論から言えば本当である。1ヶ月ロシアを旅して、ホテルのフロント以外でほとんど英語が通じることはなかった。流暢に話すロシア人は1ヶ月で3人くらい出会っただろうか。本当にカタコトの英語ならばもう少しいたであろう。しかし数えるほどである。ぼくは流暢に英語を話すロシア人に、ロシア人は学校で英語を学ばないの?と聞いてみた。

 

 

・ロシアの語学の教育制度

その答えとしては、高校や大学で英語を学べることは学べるが、選択制であり、英語かドイツ語どちらかを選択するという制度であるらしい。また別のロシア人に聞くと、英語かドイツ語かフランス語かの、やはり選択制であるということであった。日本のように、すべての学生が英語だけを学ぶ環境ではないということだった。

ぼくが考えるに、ドイツ語とかフランス語とかを学んでも世界では通じないが、英語を学べば世界中の人々と話せるので、みんな英語を学びたがるのではないかと思ってしまうが、実際はそうでもないらしい。それぞれの言語は同じくらいの割合で選択されるということだった。

 

・世界で大切な言語は時代によって違う

ぼくは60歳ほどのイタリア人のおじさんと話したことを思い出した。おじさんは英語が話せなかったが、おじさんが若い頃、外国語と言えばフランス語かドイツ語が最も重要だった、だからおじさんはフランス語やドイツ語は勉強してきたものの英語はできないというのだ。

おじさんの若い頃といっても、つい最近のことだろう。ぼくは歴史上ずっと英語が世界で最も重要な共通語であると思い込んでいたが、それもつい最近のことに限られるようだ。世界の移り変わりは激しい。世界は大きく、儚く移り変わっている。もしかしたら英語がそんなに重要でなくなる時代も、すぐそこに来ているのかもしれない。そしてぼくがおじさんになったら若い人に、イタリア人のおじさんと同じことを説明するのかもしれなかった。

 

・フィンランドでは誰もが英語を話す

さて、ぼくはロシアから陸路で国境を越えてフィンランドへとやってきた。驚くべきことは、ロシアとは全然違い、誰もが英語を話せるのである。

英語が通じるというのは、なんて旅がしやすいのだろうと、この身をもって実感しているところである。バス停で、店先で、駅で、英語でものを尋ねられるということは、実に旅のしやすさに直結して繋がるというものだ。しかし、言葉が通じ合理的に旅ができるということと、心に刻み込まれるよい旅ができるということとは異なると、ぼくはなんとなく感じ始めていた。

 

 

・ロシアが教えてくれた言葉が通じない尊さ

ぼくたちは普段、言葉が通じる世界を生きている。同じ種類の言語を使い、同じ形の文字を共有する。だからなんの障害もなく思いが通じ合っている。いや、通じ合っているような気がしている。しかしそれは本当だろうか。誰もが異なる心を持っている世の中で、きちんと自分の思いが伝わることなんて実は皆無に等しいのではないだろうか。それでも通じたようなわかったようなフリをお互いにし合って、大して伝えたいなんていう思いさえ抱かずに、なんとなく諦めながら生きているのではなかろうか。

ロシアでは言葉が通じなかった。ぼくは日本語と英語しかできないし、ロシア人はロシア語しかできない。それでもぼくたちは思いを伝えようとした。お互いに、伝えたいという確かな思いを抱きながら最善を尽くしたのだ。言葉が通じないとすれば、共有する言語がなかったとしたら、どうすれば伝わるのだろうと、心を砕いて考えたのだ。

共有する言語がないのなら、少しでも共有できる言葉を増やそうと、なるべくロシア語を覚えるように努力した。また言葉では通じなくても、肉体の動作やジェスチャーで、または笑顔で、はたまた気迫で、言葉にはならない思いを通じてわかり合おうとした。そしてぼくたちは、言語を共有しなくても、物質を共有するということで心が通じることも確かめ合った。シベリア鉄道の中では、初めて7日間もの長距離列車に乗るぼくが、何を準備していいかわからずに食べ物などがなくなったときも、たくさんのロシア人が食べ物を与えてくれた。その恵みの物質を通して、その笑顔を通して、ぼくたちの心は通い合った。

言葉というものがあまりに便利だから、ぼくたちは思い合うには言葉がすべてだと思い込んでしまうが、言葉というものはたくさんある中の手段のひとつに過ぎない。他にも多くの心を通わせる方法を人は持ち合わせているのだと、ロシアの大地はぼくに教えてくれた。そして、言葉ばかりに甘んじていてはいけない、言葉の有用性に惑わされていてはいけない、大切なのは、ぼくたちが果たしたいのは、通じ合うということなのだと、ロシアの大地はぼくに警告した。

浮世では言葉があまりに多く氾濫して、もはや人々は自らの腕に抱えきれなくなって、言葉に心を乗せることを忘れてしまっている。同じ言葉なのだからどうせわかり合えるのでしょうと、伝えるための思いやりの心を投げ捨ててしまう。

本当に大切なのは、伝えたいという思いなのだ。伝えたいという思いがあるからこそ、言葉だってひとつの手段として使えるし、その他にも人と人との間には、多くの通じ合う手段があるのだ。けれどそれらはたかが方法に過ぎない。人間にとって、尊く、本来果たさねばならないことは、心を通じさせたい、わかり合いたい、分かち合いたい、その確かで熱い思いなのだと、言葉が通じないロシアの大地が、ぼくに語りかけてくれた。

 

 

・自作詩「祖国」

言葉が通じすぎる おそろしさに

愛がすぐそこにある おそろしさに

気付いてしまったからまた 思いを馳せてしまう

遠い遠い国に

言葉の知らない 誰も知らない

遠い遠い異国

伝えたいもどかしさに 笑い合いたい胸の思いに

満たされながら歩く 早朝の冷たい石の上

ぼくが人だと 感じる瞬間

ことばと共に こころと共に

歩むことが人だと知ったのは そうきっと…

 

 

 

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