若者の間には、ルールを破ることがかっこいいと見なされる時期がある。
学校のルールや規則を破ることがかっこいいというのは本当か?
・ルールを守らないという不思議なあたたかさ
・ルールを破りたいという思いに駆られる時期
・ルールを積極的に破ることを生きがいにする虚しさ
・中学校、高校でルールを破っていた人もルールを守る大人になる
・ルールを守らないという不思議なあたたかさ
先日、権力者が一方的に決めつけたルールに対して、民衆が祈りを集めてその決めつけを破った様子を見た際には、なぜかルールを破ってけしからんという気持ちよりは、人々の祈りが集まって叶ってよかったねというようなある種のあたたかさを心に感じたことを記事にした。
権力者がどんなに勝手にルールを定めて民衆を抑えつけようとも、民衆の願いや祈りが強ければ、そのルールさえ押さえつけてしまう場合もあるのだろう。
・ルールを破りたいという思いに駆られる時期
ぼくたちは幼い頃からルールや決まりを守らなければならないと大人たちから教えられ、それに従ってきちんと生きる。しかしある時期に達すると、学校のルールや規則を破った方がかっこいいのだというような潜在的で不思議な雰囲気が渦巻くようになる。中学校や高校というのがその時期である。
中学校や高校にはさまざまなルールが存在する。髪の長さはこれくらいだとか、髪を染めてはいけないとか、髪にワックスをつけてはいけないとか、シャツを出してはいけないとか、男女交際は禁止だとか、学校や地域や厳しさによるだろうが、どの学校にも校則はつきものである。そして肉体も大人になりつつあり、人生の中で最もエネルギーに溢れる時代に直面した人々は、その校則に窮屈さを感じ、それを破りたいという衝動を抱え込むようになる。
少なくとも誰もが校則というものに窮屈さを感じているその時代に、ルールや決まりを破って生きているのがかっこいいのだというおかしな風潮が渦巻くことがある。そんな時期に彼らはまるで反抗のように、シャツを出したり煙草を吸ったり飲酒したりしてたいして意味のない行動を偉大なものだと思い込み、それを誇る人も一定数存在する。
・ルールを積極的に破ることを生きがいにする虚しさ
しかし、わざわざ誰かが決めたルールや決まりを積極的に破ることに生きるエネルギーを費やすことに、果たして意味などあるのだろうか。心の底から迫ってくる祈りや、考え抜いた先の哲学的根拠があるのならともかく、ただルールを破ることに一生懸命になっている様子は、無為な虚しさに満ちあふれている。
ルールを破ることに一生懸命になるということは、逆にルールに思いっきり縛られて生きていると言っても過言ではないだろう。ルールを常に意識し、それを積極的に破ることを楽しんでいる人生は、ルールをきちんと守って生きている人々と同じくらい、いやそれ以上に、ルールに縛られた人生を歩んでいるのではないだろうか。
ルールを破ろうと躍起になるあまり、結果としてルールにひどく縛られて生きるなんてなんとも矛盾した哀れな顛末である。しかしその矛盾には人間の本質が詰められており、可愛らしい人間らしさの表現を見て取ることもできるだろう。
・中学校、高校でルールを破っていた人もルールを守る大人になる
中学校や高校で、秘密でちょっとしたルールを破りそれを共有する楽しさは、少なからず誰もが経験する思い出だろう。しかしルールや決まりを破ることに一生懸命になり、そうすることでしか自己を成り立たせることができない人々の様子を見ると、なんだか虚しい気分に襲われた。もしかして彼らには得意なものがなく、そうすることでしか心のバランスを保てなかったのではないか。何者かにならなければならないのだという洗脳を押し付けられて、苦しみの中、躍起になっていたのではないか。
そんな風にルールを積極的に破っていた種類の友達も、社会人になればきちんとルールを守るしっかりとした大人になっているのだから面白い。きちんとした社会のルールの中で、自分なりの趣味を見つけて決められた範囲の中で生活を楽しんでいるように見える。あの時期にルールを破る経験をしたからこそ、ルールを守れる大人になったのだろうか。あの時期には、どんな意味があったのだろう。