ぼくたちは誰も犠牲にせず清らかに生きられるというのは本当か? 〜精子からの教え〜

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ぼくたちはあらゆるものに犠牲を強いながら地獄を生き延びていく。

ぼくたちは誰も犠牲にせず清らかに生きられるというのは本当か? 〜精子からの教え〜

・「他人を貶めてはならない」
・可能な限り早く飛行機のチケットの予約を
・受験生は学力で仲間たちを蹴落として勝つ
・ぼくたちの誕生は何千何億の精子の犠牲の上に
・無意識の海の中を燃え盛るように突き抜けろ

・「他人を貶めてはならない」

ぼくたちは幼い頃に大人たちから、他人を傷つけてはいけない、他人を貶めてはならないと教えらえる。大人になった今でも、まぁその通りだよなと思える。しかし、現実を突き詰めていくとこれほど困難な課題もないのではないだろうか。

ぼくたちはふと自分を主張しただけで、簡単に誰かを傷つけてしまうような脆く儚い世界に生きている。また、自分が幸福になりたいという生命として当然の願いを追求するだけで、多くの他人を蹴落としてしまう結果にすらなりうる。

他人を傷つけずに生きることはできないという内容を、ぼくは先日記事にした。今回は誰も犠牲を払わずにこの世を生きることなどできないのではないかという内容だ。ぼくたちはさまざまな人を傷つけ、そして犠牲になってもらいながら生き延びるまさに地獄を生き抜いている悪人かもしれない。一見清らかに生きているかのような人間も自分をそうだと思い込んでいる人も、この世に生きている限りは悪人であるに違いない。

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・可能な限り早く飛行機のチケットの予約を

ぼくたちは自らの幸福を追求する。それは生命として当然の思いであり、行動だ。そして誰もが他人の幸福よりも自分の幸福を当然のように最優先に考えるこの世では、あらゆる事象で衝突が生じる。

たとえば旅行に行くとき、ぼくたちは航空券を予約する。あらかじめ予約しておかないと飛行機の座席には限りがあるのだし、だんだんチケット代も高くなるので旅行の日時が決まっているのならば早めにチケットをインターネット上で予約しておくのが得策だ。

ぼくがひとつ飛行機の席を予約すると、それはすなわちその一人分誰かがその飛行機にもはや乗れなくなったことを意味する。ぼくが予約した席の分、その飛行機に乗りたかった誰かが乗れなくなるという可能性は大いにあることだ。

しかし、だからと言ってその誰かを心から可哀想だと思うあまりに、自らの航空券予約をやめてしまうお人好しはおそらくこの世にいないことだろう。誰もが「早い者勝ちなんだからトロトロしている方が悪いんだ」と開き直り、迷わず自分の幸福のためにチケットを予約するに違いない。そしてぼくたちは普段、そんな犠牲に振り向きすらしないものだ。

 

 

・受験生は学力で仲間たちを蹴落として勝つ

ぼくが如実に自分の生命の幸福が他人の犠牲の上に成り立っていると実感したのは、大学における医学部受験においてだった。ぼくの友達で、ぼくと同じ沖縄の国立医学部医学科を受けた人はなんと2人もいたのだった。みんな医者になりたいがために関西からわざわざ飛行機に乗って沖縄まで受験しに来ていたのだ。

受験生は一生懸命に勉強する。それは希望の大学や学部に入り、自らの願いを叶えるためだ。自らの幸福に向かって必死に勉強する受験生たちを見て、誰もが素晴らしいことだと励ましの言葉をかけることだろう。

しかし受験というものは競争だ。限られた入学可能人数の中にいかに自分が入り込めるかの勝負だ。受験生たちが必死に勉強するのは、自分の学力を高めてその力によって他の受験生たちを蹴落とすためなのだ。どうして幸福になりたいと願っている若者たちの、すべての思いが叶わないのだろう。どうして学力で他人を蹴落とすことでしか、自らの幸福が得られないのだろう。受験生だったぼくはこの世のシステムに違和感を覚えた。

結局、ぼくの受験した医学科に受かったのは友達のうちでぼくだけだった。ぼくは高めた学力で自らの友達を蹴落としたのだと感じた。そして彼らの夢を破壊した自分は悪人だと、少しも思わないということはなかった。

 

 

・ぼくたちの誕生は何千何億の精子の犠牲の上に

もっと根源的に犠牲の世界観を展開させるとしたら、精子だったころの時代を思い出すのがふさわしい。ぼくたちはかつて、もちろん記憶にはないが、男性から放出された何億という精子のたったの1匹だったはずだ。その中のなんと一等賞を勝ち取り、母親の卵にいち早くたどり着き、受精を果たし、誕生し今この世界に生きているはずだ。

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精子としていち早く卵にたどり着きたいと願うことは当然の思いだ。精子はそのように行動するようにインプットされているのだし、精子だってこの世界に誕生したかったのだろう、知らんけど。しかし自分が一等賞を勝ち取るということは、他の何千何億という精子が母親の体内で死滅するということを意味する。ぼくたちがこの世界に生まれる運命を結んだとき、そこには何千何億もの兄弟とも言える精子の死滅があったのだ。

けれども精子が優しい気持ちを持って「あなたたちが死ぬのは可哀想で気の毒だからぼくは一等を狙いません、どうぞ先へお行きなさい」と他の精子に道を譲るような者がいれば、それは精子として失格となるだろう。きっと精子は意識も持たず、善悪の判断も持たず、優しさも残酷さも知らず、ただ燃え盛るように野生の本能のままに卵へと突き進んでいったに違いない。他の精子のことなんて見向きもせずに、自らとだけ向き合っていたに違いない。

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・無意識の海の中を燃え盛るように突き抜けろ

ぼくたちは自我を持ち、意識を持ち、知能を持ち、さらには「犠牲」などという小難しい言葉を覚えたことにより、より一層生きにくくなっているだけではないだろうか。本当はただ、精子のように生きればいいだけかもしれない。

自分と他人の意識もなくし、おかしな遠慮や罪悪感も取り除き、自らを善悪で判断する煩悩もなくし、ただ無意識のうちに、炎のように幸福に向かって突き進めばいいだけかもしれない。

それからのことは誰も知らない。誰かを傷つけたり、誰かを犠牲にしたかなんて考えない。そんなことは真理ではないのだ。ただ人間が自ら作り出した境界線上のもとで、自らを自分勝手に苦しめているだけだ。自傷行為をしているだけだ。

ぼくたちは動物のように野生を謳歌すればいいのだ。直感に従って世界と向き合えばいいのだ。無意識の海の中を燃え盛るように突き抜けるのだ。大自然へと魂の根源を根ざすのだ。

誰かを傷つけて悲しいとか、誰かを犠牲にして胸が痛むとか、そんな言葉は真理からはるか遠く、薄気味悪い。

 

 

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