おばあちゃんの話を紹介。
日本に差別があったというのは本当か? 〜おばあちゃんに聞いた朝鮮人差別と部落差別〜
・差別があるのはどうしてか
・朝鮮人差別
・部落差別
・人の心が広がるごとに差別は薄れていくものか
・差別があるのはどうしてか
差別というのはどうして起こるのだろうか。これだけ差別はダメだと人間たちが声高に叫んでもなくならないということは、もはや差別というのは「人間のひとつの性質」なのだろうか。性質として底の方に人間が持ち合わせているものならば、人間が差別を行うのはどうしようもない摂理なのだろうか。生まれる前から人間が持ち合わせていると決まっているその他の性質を取り除くのは困難なように、差別というものも取り除くのは難しいものなのだろうか。
ここではぼくが87歳のおばあちゃんと喋って聞いた、日本の古来からあった差別についてのおばあちゃんの話をまとめたいと思う。おばあちゃんは奈良の人である。
・朝鮮人差別
朝鮮は第二次世界大戦中は日本だった。それゆえ当時の日本には朝鮮人がいた。おばあちゃんが通っていた小学校のクラスにも、何人かの朝鮮人がいたようだ。
おばあちゃんが言うには、朝鮮人は差別されていたらしい。特に何かをするわけでもないけれど、心の中で「彼らは見下されていた」と表現していた。なぜ見下されていたのかと問えば、「貧乏な人が多かったから」という答えだった。台湾人とかは周りにいなかったの?と聞いたが、いなかったという回答だった。
・部落差別
今では信じられないような話だが、おばあちゃんの時代にはどこの地域の生まれかが非常に意味を持っていたようだ。最も重要なことは、「部落」という一定の地域があり、そこ出身の人はそこ出身ということだけで「見下されていた」らしい。
今では考えられないことなので、見下される理由がわからない。なぜかとおばあちゃんに問うと「貧乏だったから」という答えが帰ってきた。おばあちゃんそればっかりやな!部落の人は差別されるだけではなく、部落ではない地域の人が部落の人と結婚するということも避けるべきとされていたらしい。今でも部落出身の人と結婚するといえば嫌な顔をされるだろうとおばあちゃんは語っていた。
部落差別は西日本など歴史の深い地域に多く、東日本にはあまりないらしい。そういえば広島県出身の人が部落差別があると言う話を聞いたこともあった。歴史が深ければ人間のよい性質も悪い性質も煮詰まって表出してくるということなのだろうか。
・人の心が広がるごとに差別は薄れていくものか
昔の日本にはいろんな差別があったそうだが、今となっては朝鮮人差別も特にないし、部落差別なんて若い人の間ではなくなっているのではないだろうか。もしもどこかで根強く残っているのだとしても、その強さは昔よりは弱まっていることだろうと思う。
結局は時代が変化して、人々の心の世界が広がるごとに、差別は無くなっていくものなのだろうか。昔は近くの村しか自分の世界がなかった人々も、電車や車や飛行機が発達して世界が広がるとともに、近くでいがみ合ったり見下し合って自分の存在を保つ必要がなくなり、古い差別はなくなっていくのかもしれない。しかし今度は大きな世界間での差別が始まっている気配もするので、人間の性質はそう簡単には拭えなのだろう。
もしかしたらこの先さらに科学技術が発達して、宇宙人でも発見して宇宙規模の交流が始まった時には、人間の心も宇宙並みの広さになり、どうせなら同じ地球上に生まれてきたのだからと地球人同士の差別はさらに少なくなるかもしれないが、それでも宇宙人への差別が生まれるだろうと予想される。