夜通し寝ずに働いても次の日に仮眠を取ることは悪いことのようだ。
研修医が夜間救急当直明けに寝ていると上級医に悪口を言われるというのは本当か?
・研修医の夜間救急当直は過酷な労働
・眠るということは人間の極基本的な権利
・夜間救急当直を誰かが担わないわけにはいかない
・眠るという人間の権利をないがしろにしながら営まれる医者の世界
・研修医の夜間救急当直は過酷な労働
研修医の夜間救急当直というのは厳しい。昼間に普通に働いて、そのまま休まずに救急夜間当直を寝ずにこなし、またその次の日は休憩せずに昼間普通に働くということがザラにあるからだ。
そもそもこんな労働をして法律的にゆるされるのかよくわからないが、医者の世界ではこれは当然の労働様式として受け止められている。こんな労働は今の時代において異常な方式だと密かに若い研修医たちが思っていても、もう若くない医者たちが、自分たちも昔からこのように労働してきたのだから医者の労働はこのようであって当たり前だ、自分たちもやってきたのだから若い医者もやって当然だという空気が流れていることも否定できない。
しかし普通に考えてこんなに人間って寝ずに働けるのだろうか。しかもこの夜間救急当直は週に最低1回多ければ2回課せられる仕組みになっている。そんなに寝ずに働いて人間というものは正常に判断し労働できるものだろうか。
・眠るということは人間の極基本的な権利
「食べる」ことや「眠る」ことは、人間としてゆるされてしかるべき基本的で当然の行為だとぼくは信じている。人間は誰でも「眠る」という人間的にも動物的にも基本的な権利を持っているはずだ。それをないがしろにされることが医者という労働ならば、医者は人間らしくない扱いを受けながら働いていることになる。
・夜間救急当直を誰かが担わないわけにはいかない
そうは言っても夜間救急当直は絶対に必要だと世の中的には見なされている。人に病気が襲いかかるのに、朝も昼も夜も関係がない。いつ何時でも健康上の問題が起きた時には医療機関が即座に対応して当然ということになっているので、医者たちは自分の睡眠や健康的で健全な生活を犠牲にしながら、身を粉にして人々を病や死から救済していく。
どうしようもない、仕方のない夜間救急当直の労働なしに人間は世界を運営できないのならば、せめて夜間救急当直を寝ずに頑張った医者は次の日の日中に仮眠をとってもいいと許可するのは、至極当然のことではないだろうか。それが仕方のない運命に苛まれながらも努力し労働した人間に対する当然の労いではないだろうか。
さすがに厳しい医者の世界でも、これを非難するような声はないだろうとぼくは思い込んでいた。しかしそれは間違いであったことに医者として労働してから気づくことになる。
・眠るという人間の権利をないがしろにしながら営まれる医者の世界
それはぼくが医局でカルテを書いている時のことだった。どこからともなく医者の人々の噂話が聞こえてくる。それは、研修医の女の子が夜間救急当直開けに仮眠を取っているみたいだ、あいつはやる気がない研修医だと陰口を言っている場面だった。
ぼくはその会話に驚きを隠すことができなかった。眠らずに夜間救急当直をこなしたあとに仮眠をとることすら、やる気がない奴だとけなされてしまう医者という労働の場の空気の異常性に驚嘆せざるを得なかった。
昼間も普通に労働して、夜間も眠らずに労働して、その次の日に眠ることがゆるされないという労働環境の空気は、尋常に考えてきちんと人間性がきちんと尊重されていると言えるのだろうか。
医者という集団は人々を病気や死から守り、人々を健康にすることが仕事だ。その「人々」というものに果たして医者は含まれていないのだろうか。睡眠をとるという人間としての基本的な権利をないがしろにして、医者自体がやがて不健康に陥ってしまうような状況を厭わないとしたら、それは元も子もない発想だと言わざるを得ないのではないだろうか。
医者というものは不思議なもので、素晴らしく患者さんのことを深く考え真摯に向き合い努力して対応しているのにもかかわらず、儒教的に上から下へと流れ下る方角に対しては、暴力をふるったり暴言を吐いたりするような人間性の人々も少なからず観察された。人間というものは、決して一方向へは進めないものなのかもしれない。こちら側で神聖に人々を救済していれば、心のバランスを保つために、あちら側では卑劣に暴力をふるい傷つけなければ済まないという潜在的な摂理に苛まれるものかもしれない。