ボーッとしてるだけで時給2万5千円!過酷でキツく大変な労働ほど給料がいいというのは本当か?
・人間は労働として自分の人生の時間を売りながら生きている
・過酷でキツく大変な労働ほど給料がいいというのは本当か?
・ボーッとしているだけで1日20万円もらえたアマゾンの職域接種の思い出
・「頑張れば頑張るほどその先でいいことが待っている」というのは本当か?
目次
・人間は労働として自分の人生の時間を売りながら生きている
ぼくたち人間は大抵の場合、労働してお金を稼ぎながら生きる運命にある。労働し、お金を稼ぎ、そのお金を使って米を買ったり服を買ったり家賃を払ったりしながら生きていくというのが、この世の中で見られるごく一般的な人生の風景だろう。それゆえに人間として生きていく上では、労働について着目せずにはいられない。
労働には様々な側面があるが、ある一面としては自分の人生の時間を売ってお金を稼いでいるようにも見える。本当は別にしたいことがあるにも関わらず、生きていくためのお金を稼ぎ出すために、心からしたいわけではない内容の労働に従事し、1日のうちの8時間ほどを自分が本当にしたいことではなく、そんなにしたくもない労働という行為にあてがう。つまり自分の人生のうちの貴重な1日の中の8時間という時間を、労働力として売って人はお金を稼いでいるというわけだ。
しかし1日に同じ8時間を労働として売るとしても、その値段が人によって全く異なることは興味深い現象だ。ある人は1日に同じ8時間売ることで10万円稼ぎ出すこともあれば、またある人は1日で5000円だけのこともある。一体どのような内容の労働がたくさんのお金を稼ぎ出し、またどのような内容の労働があまりお金をくれないのだろうか。
・過酷でキツく大変な労働ほど給料がいいというのは本当か?
普通に考えれば大変な仕事をした者、過酷な仕事をした者、たくさんのエネルギーが必要な仕事をした者ほど、多くのお金を稼ぎ出せそうな感じがする。1回に石を1つしか運べないような男よりも1回に石を3個運べる男の方が、労働力として3倍の価値があるし、3倍のお給料をもらえるのが自然な成り行きという感じがする。大変な仕事をすればするほど、キツい仕事をすればするほど、過酷な労働をすればするほど、たくさんのお金をもらえるだろうという思考は当然のように感じる。
しかし実際に世の中はそのような仕組みになっていないところが、実に興味深い点だ。例えばぼくは世界一周の旅の中で、スペイン巡礼の道800kmを1ヶ月かけて歩いた。この巡礼は常に10kgのバックパックを背負いながらだったので、それはそれは重くて過酷な行いだった。なんでこんなに大変な目に遭っているんだろうと途中で何度も思いながら、自分で決めたことだからと最後までやり遂げ、無事に生地のサンティアゴへとたどり着いた。
こんなにも肉体と精神を酷使し、大変な思いをしたのだからさぞたくさんのお金をもらえるのだろうと思いきや、当然のことながらぼくは1円ももらえず、ただお金を消費しただけだった。もちろん自分が好き好んで旅をしていただけなのだからお給料なんてもらえなくて当然だ。自分の持ってきた10kgの荷物を自分のために運ぶのは当たり前だし、誰もそんなことで褒めてはくれないしお金だって恵んでくれない。
しかしもしもぼくが背負っていたのが他人の荷物であり、ぼくがその重い荷物をサンティアゴまで運ぶという労働を命じられていたのならば、大変な思いをしてサンティアゴにたどり着いたぼくはある程度の報酬をもらえたに違いない。自分の10kgの荷物を運ぶのも、他人の10kgの荷物を運ぶのも、その行いの大変さや過酷さは変わらないのに、一方は無料で一方はお給料をもらえるというのはとても不思議な気分だ。人間の世界では、他人の役に立つということ、また契約や約束を交わすということが重要な要素であると考えられる。
・ボーッとしているだけで1日20万円もらえたアマゾンの職域接種の思い出
ものすごく大変な思いをして1円ももらえないこともあれば、ボーッとしてほとんど何もしていないのにものすごくたくさんのお金をくれることもある。その両方を経験できる人生というのは面白いものだ。
ぼくがほぼ何もしていないのに時給25000円、1日で20万円稼ぐことができたのは、医師としてコロナワクチンバイトをしたときの出来事だ。その日は職域接種の業務で、アマゾンでのバイトだった。1日200人を問診しなければならないと契約に書いていたので、とても忙しく過酷な労働になると思い気合いを入れて臨んだが、フタを開けてみると実際に接種予定者は16人だった!しかもその日は医者が2人いたので、8時間の労働でなんと8人しか問診しなくてよく、かなり暇でどうしようもなかった!
ぼくはまさかこんなに暇な労働だと思ってもみなかったので、暇つぶしの道具さえ持参しておらず、ただひたすらもう1人の年配の医師と雑談するという時間が過ぎていった。アマゾンの職場は労働するのに理想的であり、なんと自動販売機は全部タダで、冷蔵庫の飲み物も冷凍庫のアイスも全部無料でもらうことができた!
ほとんど何もすることがなかったぼくはただひたすらに自動販売機で無料のジュースを飲み、アイスを食べ、医者と雑談し、時間が過ぎていくのを徒然なるままにボーッと待っていた。しかし不思議なことに、この何もしないボーッとしているだけの時間がなんと時給25000円だったのだ!ぼくはなんとも言いようのない不思議な感覚に襲われた。
・「頑張れば頑張るほどその先でいいことが待っている」というのは本当か?
「人生の時間を労働として売ってお金を稼いでいる」という点では同じことなのに、あんなにも大変な思いをしたスペイン巡礼の行いは無料で、こんなにもボーッとしてほぼ何もせずに気楽に雑談して過ぎ去っているだけの時間に1時間25000円、1日で20万円もくれるだなんてどう考えても不思議すぎて脳の処理が追いつかなかった!一体労働とは何だろう、人生の時間の価値とは、何もしなくてもお金を稼げる労働とどんなに頑張っても1円もくれない行いの違いとはなどと、思案を巡らさずにはいられなかった。
頑張れば頑張るほどその先でいいことが待っている、努力をすればするほどに見返りがある、大変なことをすればするほどに報酬も大きいと子供に教える大人たちは大勢いるが、果たしてそれは本当なのかと疑わずにはいられない。実際に大変な目に遭っても1円もくれない労働もあれば、ほとんど何もしないで気楽に過ごしているだけで1日に20万円くれるという現象がこの世の中には存在しているのだ!
しかしよくよく考えれみれば医者になるためには数々の受験や実習やレポートや試験をくぐり抜けているので、客観的に見れば医者になるための努力というのは計り知れず、そういう観点から言えば「頑張れば頑張るほどその先でいいことが待っている」というのはある意味本当かもしれないなぁと納得する次第である。
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