繊細な魂が働きたくないと感じる根本的な3つの理由!働きたくないと感じるのはおかしいというのは本当か?

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働きたくないと感じることはおかしなことではない。なぜなら労働は、愛に反する行為だからだ。

繊細な魂が働きたくないと感じる根本的な3つの理由!働きたくないと感じるのはおかしいというのは本当か?

・ぼくたちは労働しないと生きられない
理由1.労働とは自分の命を人質に取られた強制労働だ
理由2.労働は時間を奪い、本来の人生の目的を成し遂げることを妨げる
・中島みゆき「愛だけを残せ」
・中島みゆき「慕情」
理由3.労働という行為は決して真実の幸福へと導く「愛」にはなり得ない
・中島みゆき「I Love You,答えてくれ」

・ぼくたちは労働しないと生きられない

ぼくたち人間は、労働しないと生きていけない。もしも働かなければお金を稼ぐことができず、生活における衣食住を保てなくなるからだ。どんなに疲れた、働きたくないと心の中では思っていても、ぼくたちは生きていくために毎朝職場へと赴き、労働に従事する。

人間の世の中では、労働していればまともで素晴らしい人間だと見なされる一方で、働いていない人間に対しては、異常だと見下したり間違った出来損ないだと判断する傾向にある。それはこの人間社会を生き抜いてきた人ならば誰でも感じることのできる、人々の間で共有されている隠された社会通念だろう。

しかし実際は誰もが多かれ少なかれ「働きたくない」という感情を心に抱きながら社会生活を営んでいる。もしも明日から働かなくても生きていく分のお金を毎月支給し続けますよと決まったならば、一体どれほどの人々が今まで通り労働をし続けるのだろうか。答えは想像するに難くない。

そのような状況の中で、果たして「働きたくない」と感じることはおかしなことなのだろうか。「労働したくない」という思いを抱くことは人間として異常なことなのだろうか。この世では「労働したい」と願う心こそが人として抱くべき美しい思考であり、その逆を願うことは醜い悪質な行為なのだろうか。

この記事では「働きたくない」と感じることが人として自然である3つの理由について見ていこうと思う。

 

 

理由1.労働とは自分の命を人質に取られた強制労働だ

労働とは基本的に、人の役に立つ行為だ。人の役に立つことに自分の人生の貴重な時間やエネルギーを費やし、その見返りとして「給料」という生きるための道具をもらい受けることによって、人間は生活を営んでいる。つまり労働から発生する「給料」によって生かされ続けている限り、ぼくたちは他人の役に立ち続けることを強いられているということだ。

確かに他人の役に立つという行為は心洗われる素晴らしい行為だ。しかし「給料」やそれによってもたらされる「安定した生活」や「持続的な生命」を人質に取られてまで強制される役立ちの行為は、果たして本当に心満たされる美しい行為なのだろうか。ぼくたちは労働しなければ、すなわち他人の役に立たなければ、給料をもらえずそのまま生きてはいけなくなりますよと脅されることによって、しぶしぶ操られ社会労働に駆り出されているのだ。そんな隠された強制労働で心満たされるはずがあるだろうか。労働の正体を見抜けば、今の社会で「働きたくない」と感じることは何らおかしなことではないことが見て取れる。

労働とは本来どのようなものだろうか。それは原始時代や縄文時代を想像してみればよくわかる。それは狩りをしたり釣りをしたり木の実を採取したり作物を育てたりという、自分を生かすために行う自分自身のための個人的な行動だったのではないだろうか。人間は本来、大いに自分のためだけに生きてもよかったのだ。それこそが人生を「全体」として生き抜くための、健全な魂の姿だった。それなのに社会システムが複雑化し、お互いがお互いに影響し合うことでしか生きられなくなり、お互いの役に立つ行為(労働)をそれぞれ分業して行うことによって、経済というお金の波を引き起こしていくということが人間の生きる目的だと教え込まれるようになった。人間は「全体」ではなく、操られる都合のいい「部品」に魂を改造されてしまったのだ。

しかしよくよく考えてみればお金を稼ぐことが人生の目的でないことは明らかである。お金は人生を幸福に生きるためのひとつの手段ではあるけれども、手段のすべてではないし、ましてや人生の目的そのものになどなれるはずがないのだ。

 

理由2.労働は時間を奪い、本来の人生の目的を成し遂げることを妨げる

「他人の役に立つ行為」という美しい名目でごまかされた強制労働がぼくたちから奪うのは、何も肉体的、頭脳的な労働力だけではない。もっと重要なことは、ぼくたちは自分の人生の尊い「時間」を奪われるということだ。しかも労働する年齢というのは、大抵若くて健やかでなんでもできる年齢だと相場が決まっている。ぼくたちは本来なら自分の願いを叶えるために費やすことをゆるされた、若くて美しく何でもできる健康な人生の尊い時間のほとんどを、他人の役に立つという強制労働によって奪い取られてしまっているのだ。

何もおかしなことはない、人間とはそういう生き物だ、仕方がないじゃないか、諦めて労働に従事するより他はないと感じる、社会に飼いならされた人々もこの世には多いことだろう。しかし人の世をきちんと0から思考し、自分の生命と真剣に向き合いながら生きてきた敏感な魂たちならば見抜くはずだ。ぼくたちは確実に、何かを誤魔化されていると。そしてそんな敏感で繊細な予感こそが表現しにくい違和感を爆発させ「働きたくない」という思いを抱かせる結果となるのではないだろうか。

ぼくたちが生まれてきた目的とは一体なんだろうか。それは労働に従事し、強制的に他人の役に立つことだろうか。自分の命を人質に取られ強制的に労働を押し付けられることがなかったとしたら、ぼくたちは果たしてどんな生き方を望むだろうか。ぼくたちが心の底から願っているものは何だろうか。生まれる前から備わっていたかのような、燃え盛るような思いや願いをぼくたちは心の根源に隠し持っているはずだ。その根源的な野生の直感を感じる取る受容体を育てることで、ぼくたちはそれぞれの人生の目的を認識できるようになるだろう。

 

 

・中島みゆき「愛だけを残せ」

愛だけを残せ 壊れない愛を
激流のような時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず
命の証に愛だけを残せ

 

・中島みゆき「慕情」

愛より急ぐものが どこにあったのだろう
愛を後回しにして 何を急いだのだろう
甘えてはいけない 時に情けはない
手放してならぬ何かを間違えるな

 

理由3.労働という行為は決して真実の幸福へと導く「愛」にはなり得ない

中島みゆきは「愛」について歌うことのできる稀有なアーティストだ。その「愛」とは見返りを求める「恋愛」や「発情」や「性欲」のことではなく、ただ与えっぱなしになるという「無償の愛」である。ロシア人作家のトルストイはその著書「人生論」の中で、誰にとっても人生の目的は幸福になることであり、そして幸福になるための方法はただひとつ「愛すること」だと断言している。見返りを求めない、損得勘定で裁かない、ただひたすらに与え、愛し続ける行為によってのみ、人間は真実の幸福にたどり着くのだという。ぼくはトルストイの言うこの「愛」は、中島みゆきの歌う「愛」に共通するものを見出せると感じている。

ぼくが「働きたくない」と感じても人が当然だと思う理由は、労働は「愛」に満たされた行為では決してないからだ。労働とは他人の役に立つことだから素晴らしい行いだと世の中では認識されている。しかし本当にそうだろうか。労働とはそんなに素晴らしいと噂されるほどに価値のある行為だろうか。労働とは上記の通り、自分の命を人質に取られた強制労働だ。誰もがその強制労働に従事させられてしまう自分の人間としての運命がいたたまれなくて、せめて自分たちは正しい存在なのだと居直りたくて、必死に「労働は素晴らしい」「労働は美しい」と誤魔化して叫んでいるだけではないだろうか。さらにその誤魔化しは、人間社会や経済的発展をも促せる都合よく便利な言葉である。

確かに他人の役に立つことは素晴らしいことだ。しかし労働における「他人の役に立つこと」はどことなく白々しい。それは誰もが自分の命を人質に取られた強制労働をさせられており、自分の本来の「願い」や「祈り」や「情熱」や「本能」とはほとんどかけ離れた心の位置にいるからだ。本当にぼくたちが心から美しいと感じられる「他人の役に立つこと」とは、すなわち「無償の愛」のことではないだろうか。つまり見返りを求めない「愛」、トルストイの言う人間の真実の幸福へとつながる唯一の道だ。

彼の言うように、ぼくたちのすべての魂が根源では真実の幸福を求めており、そのために見返りを求めず人を愛することや、ただひたすらに与えることを望んでいるのなら、それは「労働」という行為とは程遠い。「労働」とは必ず、常に、見返りを求める行為だからだ。労働の中では他人の役に立つ行為が行われ、確かに労働は神聖で慈悲深い行為だと勘違いしてしまいそうになるが、すべての労働が給料という見返りを求めてこそ行われている行為だとふり返るとき、労働は決して真実の幸福へと通じる「愛」にはなり得ないだろうと痛感する。見返りを求めて愛したり与えているのでは、それは決して「真実の愛」とは呼ぶことができないのだ。

もしもぼくたちの魂がトルストイの言うように幸福を求めており、そのためにはただひたすらに与えるための「愛」が必要であると知っているのなら、ぼくたち人間が「働きたくない」と感じてしまうのは当たり前のことだ。なぜなら労働は、常に給料という見返りを求めており、決してそれは「愛」ではなく、人間の真実の幸福につながるための通路には決してならないからだ。ぼくたちは幸福になるために生まれ、「愛」を見出すために生きているのに、そんな純粋で清らかな祈りを無視して、強制的に「愛」とは遠くかけ離れた労働という行為に従事するように仕組まれているなんて、いたたまれない思いとひどい違和感を感じてしまっても当然だ。

労働とは一般に言われているほど、神聖な行為ではないのではないだろうか。以上3つの理由を見てきてもぼくたち人間が「働きたくない」と感じることは、とても自然なことだし、真剣に自分自身や人間の正体と向き合っているような繊細で清らかな心を持った人ほど敏感に「働きたくない」と感じてしまうものなのかもしれない。

 

 

・中島みゆき「I Love You,答えてくれ」

何か返してもらうため
君に愛を贈るわけじゃない
後で返してもらうため
君に時を贈るわけじゃない

君はひどい目に遭いすぎて
疑い深くなってしまった
身を守るのはもっともだけど
世界全部毒だなんて悲しいよ

愛さずにいられない馬鹿もいる
気にしないで受け取ればいいんだよ
愛さずにいられない馬鹿もいる
受け取ったと答えてほしいだけさ

I Love You,答えてくれ
I Love You,答えてくれ
I Love You,答えてくれ I Love You…

プラスマイナス数えながら
君を見つめるわけじゃない
いつか実りをもらうため
君を大事にするわけじゃない

惚れた方が損になるなんて
取引や投資じゃあるまいし
惚れて嬉しい単に嬉しい
同じ時代に生まれて嬉しい

愛さずにいられない馬鹿もいる
悩まないで受け取ればいいんだよ
愛さずにいられない馬鹿もいる
受け取ったと答えてほしいだけさ

I Love You,答えてくれ
I Love You,答えてくれ
I Love You,答えてくれ I Love You…

 

 

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