YouTubeに広告があるのは当然だというのは本当か? 〜YouTuberは時間泥棒〜

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昔むかし、YouTubeに広告なんてなかった。

YouTubeに広告があるのは当然だというのは本当か? 〜YouTuberは時間泥棒〜

・YouTube動画に広告がついているのは普通のことだ
・昔むかし、YouTube動画に広告なんて皆無だった
・ただ与えるという気持ちを忘れ、見返りを強く求めるYouTubeの現代
・動画をアップしてやる代わりに見返りをよこせとせがむのは普通のことだけれど
・中島みゆき「進化樹」
・桃源郷を侵略するのはいつの時代も経済的な権力者

・YouTube動画に広告がついているのは普通のことだ

YouTubeには当然のように広告が付いている。まだマシなものは最初にひとつだけとか、最初と最後のふたつだけに留まっているが、欲張りな人の場合は3つとか、ひどい人は10個以上も広告がついていてもはや見ようとする気すら起きない。

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YouTubeの広告はアップロードした人がお金を稼ぐために設けられているわけだが、YouTubeに広告がついていることなんて当たり前なのだろうか。

 

 

・昔むかし、YouTube動画に広告なんて皆無だった

ぼくが昔むかしにYouTubeを認知した時には、YouTubeの動画に広告なんてついていなかった。その時は日本語表記すらなかったような記憶があるが、とにかくみんな動画をアップロードしているものの、ただみんなに見てほしくて、みんなと動画を共有したくてアップロードしているというような感じだった。ぼくたちは何ひとつ広告に邪魔されることなく、アップロードされた動画を楽しむことができたし、それが普通だった。いきなり広告が入って自分の時間もデータ通信量も奪いとられるなんて思いもよらなかっただろう。

今思い返せばあの頃の時代は懐かしい。利益という観点から、YouTube初期に動画をアップロードする意味なんてあったのだろうか。全ての動画に広告なんて貼られていなかったのでおそらくYouTubeによってお金を稼ぐという発想自体なかったのではないだろうか。彼らはただ自分が持っている素晴らしい動画を、インターネット上の誰かと共有したくて、見知らぬ誰かに見て欲しくて、ただただそんな純粋な気持ちで動画をアップロードしていたに違いない。そして見る側の人々は何も奪われることもなく、ただ有意義な動画を享受していた。

そこにあったのは見返りを求めず、ただみんなに見てほしい、みんなと共有してほしいと願う人々の純粋で清らかな”与える”心だったのではないだろうか。見知らぬ誰かに与えることで、お返しにお金なんてもらえなくても、感謝されることがなくても、ただ人々に自分の持っている動画という財産を与え、広く共有したい。昔のYouTubeにはそのような、ただ”与える”ことにより矛盾するように自分も”与えられている”ように心満たされるという、神聖な慈悲の心が感じられたように記憶している。

 

 

・ただ与えるという気持ちを忘れ、見返りを強く求めるYouTubeの現代

それにひきかえ現代のYouTubeはどうだろうか。あらゆる動画にはしつこくちまちまと広告が貼り付けられ、時間とデータ通信料を無駄に奪わない動画はほとんど存在しない。そこにあるのはあの古き良きただ”与える”という人々の慈悲の心ではなく、動画を与えてやっているのだから見返りに何かよこせという、見返りに利益を貪るような人間の心の姿である。

彼らは動画をアップロードしてやる代わりに視聴者に広告を見るように強要し、ぼくたちのこの世で生きている大切な命の時間と、お金のかかるデータ通信料を無理矢理に泥棒される。YouTubeの広告なんてちょっとの時間なのに何を大げさなとお思いかもしれないが、塵も積もれば山となるで、このままだと大量の人生の貴重な時間とデータ通信量をYouTubeに奪い取られることになるだろう。

 

 

・動画をアップしてやる代わりに見返りをよこせとせがむのは普通のことだけれど

もちろんアップロードしている彼らは人々に意味のある動画を見せてやっているのだから、見返りに何かをよこせというのは至極真っ当な意見だ。視聴者がお返しとして何もアップロード者に献上しないのに、無料で動画を見られると思っている方が虫のよすぎる話かもしれない。動画を提供してやってるんだからお返しに何かくれとせがむことは、浮世の衆生の心に発生する思いとしては通常の成り行きだろう。アップロードされた動画を見たければその見返りに、時間でもデータ通信料でも適度に泥棒されて、アップロード者に賽銭でもよこすべきだと強要されるYouTube世界に、ぼくたちは今生きている。

アップロードするYouTuberたちは見返りにお金を儲けられることでモチベーションが上がり、さらに優良な動画をアップロードしようとする意気込みが高まるかもしれない。そのようにより多くの利益を求めて資本主義の中で競争し、優良な動画で世界が満たされればますます便利で素晴らしい世の中になってゆくに違いない。

注目されるためにわざと意味のない刺激的な炎上動画をアップロードする者、金儲けすることだけが目的で嘘ばかりを吐いて(死んだ芸能人の家族ですなど)視聴回数を稼ぐ者、有益な情報を何ひとつ与えないどうでもいい動画たちが溢れすぎて本当に自分に必要な動画が検索結果から探しにくいというのは問題であるものの、それなりにYouTubeの広告システムにはいい点も存在しているのだろう。

しかしぼくはどうしてもあの慈悲の心で満たされた時代のYouTubeを思い出してしまう。誰もがみんなただ”与える”ということだけで、心が満たされて完結していたあの時代。人々の時間を泥棒しようともせず、データ通信料を奪い取ろうともせず、見返りとして強制的に何かをよこさなければ、アップロードなんてしてやるものかという利益を貪る心で満たされたこの時代とは明らかに違う、ただただ”与える”ことの幸福を知っていた古き良きYouTubeの時代を。

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・中島みゆき「進化樹」

”誰か教えて ぼくたちは今
本当に進化をしただろうか
この進化樹の最初の粒と
ぼくはたじろがずに向き合えるのか”

 

・桃源郷を侵略するのはいつの時代も経済的な権力者

人間の進化とは、いつの時代もこのようなものだろうか。まず与えるための美しい人々の慈悲の心が素朴に根付き、後からそれを商売と経済が根こそぎ侵略し奪い取る。与えるだけで幸福になれた人々の桃源郷は侵略され、競争と利益を貪る醜い心たちだけが残ってゆく。ぼくたち人間は本当に進化しているのだろうか。もしかしてぼくたちは退化していないだろうか。

 

 

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