芸能人や有名人、インフルエンサーを誹謗中傷してはいけないというのは本当か?

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芸能人や有名人、インフルエンサーを誹謗中傷してはいけないというのは本当か?

・有名人を誹謗中傷してはいけないというのは本当か?
・人間集団には本来、有名人を非難する性質が備わっている
・有名人は優れているというよりはむしろ目立つことが得意な存在だ
・中島みゆき「ささやかな花」
・有名人が得意な一分野だけではなく専門外の全分野に関して影響力を発揮する危険性
・有名人の影響力は自分の人生に不必要な雑音
・有名人への影響力の集中と権力の独占を防ぐために、誹謗中傷する性質が人間の本能に備わっている可能性がある

・有名人を誹謗中傷してはいけないというのは本当か?

世間では芸能人や有名人、インフルエンサーに対するインターネット上での誹謗中傷が問題になっている。有名となり多くの人から名を知られたり認識されたりするようになるとむやみやたらと褒められることも多いが、その逆に知らない人や会ったこともないような人から有る事無い事言いふさられて理不尽に非難されることも多くなる。最悪のケースでは誹謗中傷を気に病んで自殺してしまう有名人もいるようである。

「人を誹謗中傷するのはいけない」というのは、なるほど全くその通りだ。インターネット上の会ったこともないような多数の人々が寄ってたかって特定の人物を不条理にけなしたり傷つけたり暴言を吐いたりすることは、倫理的にも社会的にも大きな問題となるだろう。有名人が不特定多数からの誹謗中傷を受けて自殺した頃には、その他の有名人達が「有名人だって人間なんだ!有名人を誹謗中傷するな!」と騒いでいたのをよく目にした。

しかし「人を誹謗中傷するのはいけない」というのは全くその通りだと同意しつつも「有名人を誹謗中傷するな!」と有名人達が声高に主張している光景に、ぼくは何だか違和感を覚えた。有名人だって人間だというのはその通りで、人間をやたらと誹謗中傷してはいけないというのもその通りだと感じるが、一体なぜぼくは彼らに違和感を覚えたのだろうか。

 

 

・人間集団には本来、有名人を非難する性質が備わっている

まず有名人達が、有名になったにもかかわらず自分は人々から悪口を言われるべきではなく賞賛だけされるべきだと言わんばかりの態度に驚いた。有名になって沢山の人々から名や存在を知られたのなら、数々の賞賛の言葉や様々なお得な特典を享受できる代わりに、それと同じくらいにもしくはその何倍も悪口を言われたり根も葉もない噂を流されたり非難されたりするのは当然のことだ。

それは何もぼくがそうあるべきだと主張しているわけでは決してなく、普通に人間社会でこれまで生きてきたならば、人間の集団というものはそのような性質を持っていると明白に知ることができるはずだ。有名になっても非難されることなく賞賛だけされるはずだとお花畑のように信じている人がいたならば、その人はこれまでの人生で人間社会や人間集団の観察をかなり怠ってきたと見るべきだろう。この世で有名になろうと躍起になるのなら、世間から賞賛だけではなくそれ以上の非難の言葉を浴びせらることを覚悟しなければならないのではないだろうか。

確かに有名人も人の心を持った人間なのでそのような状況がいいことだとは全く思わないが、だからと言って啓蒙活動を行えば人間集団が有名人の悪口を言わなくなるとも決して思わない。人間集団が有名人や芸能人、インフルエンサーなどの目立った人を非難するというのは、変えることのできない遺伝子レベルで人間に植え付けられた習性なのではないだろうか。未だかつて人間集団が目立った人の悪口を噂しない時代があったのだろうか、いやない。未だかつて人間集団が目立った人の悪口を噂しない国があったのだろうか、いやない。人間というのはいつの世でもどこの世でも、目立った人間を非難してきた歴史があるのではないだろうか。

 

・有名人は優れているというよりはむしろ目立つことが得意な存在だ

有名人達が「有名人を誹謗中傷するな!」と主張するのは当たり前だ。なぜならそのような主張は自分自身の利益となるに他ならないからだ。しかも彼らは「人を誹謗中傷するのはいけない」という真っ当な倫理観や人間社会の常識的価値観を盾にしながら主張してくるので、一見彼らはとても正しいことを言っているように見える。しかし本当に彼らは正しい主張をしているのだろうか。有名人から世間の非難の声を取り除いたら何が残るのだろう。そこには賞賛と影響力しか残らないのではないだろうか。非難は受け付けないが賞賛と影響力だけはいくらでも蓄えたいというのはいくら何でも虫の良すぎる欲張りなものの考え方かもしれない。そしてそれは人間社会にとって非常に危険な状態ではないだろうか。

ぼくは有名人や芸能人、インフルエンサーというのはつくづく怪しい存在だと感じている。彼らは世間で目立ち、みんなから注目を集め、巨大権力の電波やSNSを利用して数多くの自己主張を繰り返しているが、果たして彼らは本当に注目に値する存在なのだろうか。ぼくにはそうは思えない。そりゃあ少しくらいは本物も混じっているのかもしれないが、90%以上は影響を受ける価値のない偽物ではないだろうか。

別に彼らが劣っているとは決して思わないが、だからと言って特段優れているとも全く思わない。自己主張が強かったり目立つのが得意なだけで、能力や知能はその辺の人々とそんなに変わらないのではないだろうか。能力や知能はそんなに変わらないのに、なぜぼくたちは彼らに影響を与えられなければならないのだろう。影響を受けるなら、せめて自分が認めた自分よりも優れた人々から与えられたい。自分より優れた人々からいい影響を受けることで、自分自身も成長する機会に恵まれるかもしれないからだ。しかし自分達とそんなに変わらない同じような能力や知能のレベルであるくせに巨大権力やお金や電波の力を借りてまるで優れているように”見せかけている”者たちが、メディアや広告によってやたらとしつこく影響を与えて来ようとする図々しさには疲弊してしまう。

はっきり言って有名人よりも才能や知能や技術が優れている人々は、世の中に沢山いるだろう。それなのに目立ちたいという気持ちが強かったり目立つということが得意であるという理由だけで、有名人より優れた人々の主張が聞き取りづらくなり、逆に有名人の方が世間に広く影響力をもたらすというのはおかしな社会構造ではないだろうか。本来ならば真に優れている人々が影響力を持つ方が、人間社会にとっても有益だし健全なはずだ。なぜ声が大きい者たちや自己主張が強い者たち、目立つことが得意な者だちにだけ人間社会は影響を受けやすく、逆に本当に才能や知能や技術のある大人しい人々の声は踏みにじられる傾向にあるのだろうか。真に優れている人々は才能や知能を発揮することに夢中で、目立つという特殊な行為に注力していない可能性が高い。その一方で大して才能や知能がない欠点を目立つことや有名になることでカバーしようと企む者たちが、小賢しく影響力を獲得してしまうというのは非常に厄介だ。

具体的な例でいうと新型コロナワクチンの情報が挙げられる。長い間医学を勉強し、医学を専門として真面目に活動してきた医師たちの論文に基づいた正しいワクチンの情報よりも、面白いことで有名になったお笑い芸人の間違ったワクチン情報の方が影響力があり世間の人々に浸透しやすいというのはかなり大きな社会的損失だし、危惧すべき状況ではないだろうか。このような光景を見ていると、民衆というものの情報を選別する能力の低さや正しいものを見極める知識のなさに驚かざるを得ない。

 

・中島みゆき「ささやかな花」

艶やかな人が多くなったね
声高な人が多くなったね
今時誰でも当たり前だろうか
勝ち負けで人は分けられる

今に限らず遠い昔から
目立つ話が正論で残る
声を荒げて人は我を通す
黙る人は置き去られる

ささやかな花 踏まれるな
気弱な花 折られるな
ささやかな花 傷つくな
気弱な花 傷つくな

 

(この記事は著作権法第32条1項に則った適法な歌詞の引用をしていることを確認済みです。)

 

・有名人が得意な一分野だけではなく専門外の全分野に関して影響力を発揮する危険性

有名になる方法にはいくつもの種類があるだろう。野球が得意で有名になる場合もあれば、歌が上手くて有名になる場合もある。イケメンや美人で有名になる人もいれば、お笑いが面白くて天下を取る人もいるだろう。また何の才能も知識もないのにお金と権力と策略で有名になる人もいるだろう。しかし注意すべきなのは有名人というものはどのような経路を通って有名になろうとも、その分野以外のことに関しても全般的に広く世間に影響力を及ぼしてしまうということだ。

たとえば歌が上手くて有名になった人がいたとすれば、歌の才能があって歌が得意だったわけだから歌い方について解説したり音楽についての知識を披露したりするのは真っ当であり社会にとって有益だが、変な方向へ突っ走り根拠のない健康情報を垂れ流したりおかしな商品などを売り出し始めたら、歌によって獲得した影響力の乱用ではないだろうか。歌によって獲得した影響力ならば歌に関することにのみ発揮されればいいのに、どのような経路であれ一旦影響力を構築してしまえば得意な一分野のみならず全分野に渡って発揮されてしまうところが、影響力の未完成な欠点と言えるだろう。

先ほどの例で言うとお笑い芸人がどこかの噂を聞き齧ってきたような適当で曖昧な知識で、もしくは権力者に政治的に利用されて、新型コロナウイルス感染症のことやコロナワクチンの情報についてエビデンスのないトンチンカンな意見を言いふらすことは社会にとってかなり有害ではないだろうか。医学のことは当然のことながら専門家である医師の意見を最も尊重し、耳を傾けるべきだ。しかしながら世間は影響力というものに流されやすく、なぜか医学をずっと勉強してきた医師たちの意見よりも、人を笑わすことでご飯を食べてきた医学の勉強を何ひとつしていないお笑い芸人の言うことを信頼してしまう。これほどおかしく間抜けな構造があるだろうか。しかしこのような民衆の愚かさを利用して、権力者たちは影響力のある有名人を媒介としながら自らの思想を世間に流布しようと企んでいる。

碌でもないインフルエンサーという種類の人間にも注意が必要だ。彼らには才能があったり魅力的であるというよりはむしろインターネット上で人々をわざと怒らせたり、嫉妬させたり、怯えさせたり、賛否両論の渦に巻き込み議論させたりしてフォロワーやチャンネル登録者数を増やすことで影響力を身につけている者も多い。影響力が大きいばかりにそのような者たちの発信が見たくなくても目に入ってしまうと、これまでは平穏だった心が無駄に乱されて意味なくエネルギーを消費させられる結果となるだろう。それって自分の生活にものすごく悪影響ではないだろうか。

 

 

・有名人の影響力は自分の人生に不必要な雑音

このようにぼくは有名人というものは怪しく、危険な存在だと感じている。もちろん誠実な情報発信を続ける善良な有名人もいるだろうが、果たして本当に人間というものは有名人の影響を受けなければならない存在なのだろうか。普通に人間として生活していると有名人というものはやたらとしつこくメディアや広告に乗って自己主張を繰り返してくるが、はっきり言って自分の人生に彼らが必要だと思ったことは一度もない。というよりもむしろ邪魔だと感じたり煩わしいと感じることの方が圧倒的に多い。出会って会話してお互いに人間として付き合えるのならともかく、なぜ一生出会いもしない見知らぬ他人に強い影響を与えられ続けなければならないのだろう。有名人やその影響力って実際のところかなり迷惑で不必要な人生の雑音ではないだろうか。

本当に才能があり心から感動させられる能力を持っているならともかく、そうでないならばぼくは芸能人や有名人、インフルエンサーという種類の人間をなるべく遠ざけながら目に入らないように生きていかなければならないと感じている。しかし有名人というものを目に入れずに生きていくことは極めて難しい。なぜなら彼らはどんなに見ないようにしようと意識していてもメディアや広告という媒体を通して図々しくそして厚かましく人々の生活の中に無理矢理入り込んでくるからだ。ぼくたちが彼らをなるべく避けながら生きていきたいと願うならば、彼らが目に入ったり耳に入ったりしても心の底から完全に”無視”できるだけの精神力を身につけなければならないのではないだろうか。社会で生きていると土砂降りの雨のように降り注ぐ有名人の影響力というものを真に無視できる能力を発揮して初めて、欲望にまみれた馬鹿馬鹿しい俗世の雑音から自分自身を確実に遠ざけることができる。

 

 

・有名人への影響力の集中と権力の独占を防ぐために、誹謗中傷する性質が人間の本能に備わっている可能性がある

人間集団が目立つ人間や有名人、影響力のある人を寄ってたかって非難したり誹謗中傷するような性質を持っているのも、実のところ本能や遺伝子のレベルで、有名人の影響力というものがいかに危険かを察知しているからではないだろうか。有名人というのは自己主張や目立つことが得意であるというだけで、たとえ優れた才能や知能があったとしてもそこには必ず分野的な偏りがあり、決して何もかもを熟知した万能の神様ではない。にもかかわらず有名人の影響力というものは全分野に関して発揮され、その危険性は既に述べた通りだ。

全てに関して精通している訳でもないくせに全ての分野に関して強い影響力を発揮されてしまうと、その有名人が嘘や間違いや危険な思想をもたらした際に、社会が大きく混乱し不安定になってしまう。それゆえ有名人には賞賛や影響力を集中させる代わりに、その人が影響力を悪用し暴走してしまわないよう抑止力・ストッパーとして「人間集団は有名人に誹謗中傷や非難をする」という仕組みが人間の本能の中に組み込まれているのではないだろうか。

誹謗中傷は確かにいけないことだ。しかし有名人から民衆の誹謗中傷や非難を取り除いてしまうと、人間社会において有名人が圧倒的な影響力を独占することになり、権力が集中するという観点からそれは非常に危険な状態となってしまう。なぜなら有名人というのは優れていたり人格者であるとは限らず、そのほとんどの場合ただ目立つのが得意だっただけの平凡な人間に過ぎないからだ。知識が豊富な訳でもなく、優秀な訳でもなく、人格的に優れている訳でもない、ただ目立つのが得意な種類の人間にだけただひたすらに権力を与えるのは危険すぎるし、そうすべきではないのは火を見るよりも明らかである。

ぼくは有名人による「有名人を誹謗中傷するな!」という一見正しそうに見える主張を、そう易々と民衆は受け入れてはならないと感じる。なぜならその結果として有名人に賞賛と影響力が集中してしまい、権力を独占されてしまう危険性があるからだ。欲深い有名人は自分にとって都合がいいその独占を狙って、倫理的に正しそうな主張を小賢しく繰り出してきている可能性も否定できない。もちろん殺害予告や傷害予告やストーカーは論外であるにしても、ある程度の非難は有名人の暴走や権力の集中を妨げるために人間社会にとってなくてはならない抑止力の役割を担っているのではないだろうか。インターネット上は政治家に対する悪口で渦巻いているが、これもまさに政治家という権力者がその影響力をむやみやたらと悪用させないための人間集団に植え付けられた本能的な行為なのかもしれない。

これからもぼくは有名人や芸能人、インフルエンサーを可能な限り無視し続け、受ける影響を最小限に抑えようと努力する生き方を選ぶだろう。ほんの一握りの尊い才能を除いて、彼らの影響力のほとんどは取るに足らない雑音であり、ふり返るほどの価値もない偽物だ。彼らが自己主張や金儲けのためにふりかざす影響力はぼくたちにとって搾取へと通じる害悪でしかなく、ぼくたちがこの人生で本当にすべきこと、ぼくたちの生まれてきた目的、ぼくたちの”魂の使命”を自覚することを妨げる目眩しとなり得るだろう。有名人というもの、そしてその影響力という雑音と穢れを徹底的に排除・無視することによって初めて、ぼくたちは自らの純粋な生きる目的を自覚できる。

 

 

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