テレビやニュースを見ない方がいい9つの理由!メディアが信頼に値するというのは本当か?

 

ぼくはテレビを見たくない!!!!!

テレビやニュースを見ない方がいい9つの理由!メディアが信頼に値するというのは本当か?

・ぼくはテレビが大嫌いになった
1.人々から注目されたがる構ってちゃんのテレビやメディア
2.どうでもいいことを「大問題」とし人々の心に「不安」や「恐れ」を植え付ける
・中島みゆき「時刻表」
3.テレビやメディアは世の中の悪い側面ばかりを垂れ流す
・中島みゆき「噂」
4.思考を統一し憎むべき敵を作り出すことで、人々の心を誘導する
5.思想を植え付けるための「コメンテーター」「芸能人」「街角インタビュー」という道具
6.テレビの中の人々はただ単にやかましい
7.テレビやメディアに都合の悪いことは世間でどれだけ話題になっても報道しない
8.テレビなどのオールドメディアは世界に中心と格差を作り出す
9.情報に順位をつけ、人々に何が最も大切かを見失わせる
・金と権力はテレビからインターネットに移行しつつある

・ぼくはテレビが大嫌いになった

ぼくはテレビというものが嫌いだ。昔はそうでもなかったが、時が経つにつれて次第に嫌いになってくる自分自身に気がつく。子供時代に好きだったものはそのまま大人になっても好きだと思っていたのに、これは不思議な現象だ。

新聞やテレビやニュースを見ないと立派な大人になれないというのは本当か?

テレビを見ているだけでなんだかイライラしてくると同時に心の中に巨大な違和感が生じてくるのを感じる。ぼくがテレビやメディアをなぜこんなにも嫌いだと感じるのだろう、この心の中の違和感の正体は何なのだろうと思い、自己分析して「テレビやメディアを見たくない理由」をこの記事の中でまとめてみた。

 

 

1.人々から注目されたがる構ってちゃんのテレビやメディア

テレビやメディアというものは、人々から見られないことには始まらない。多くの人から見られることによって価値が生み出され、はじめてお金が発生するからだ。したがってテレビやメディアは必然的に、自分を見てくれ見てくれと必死になる。このメディアの前提条件からして、なんだか厄介でめんどくさく浅はかな気配を感じざるを得ない。

大した魅力もないのに自分を見てくれ、自分を気にかけてくれ、自分にみんな注目してくれと必死になっている人間を見ると、イタい人だなぁとぼくたちはつい感じてしまう。そんな痛々しい人を見ているような感覚を、ぼくはまさにテレビやメディアに対しても感じる。甘えん坊で構ってちゃんな子供が、親の気を引くためにわざと大げさにふるまったり、ふざけたり、おどけて見せたりするような、稚拙で不自然な自己愛をメディアの中から感じずにはいられない。

テレビやメディアは、目立つためなら、見てもらうためなら、構ってもらえるなら、必死になって何でもやる。それが彼らの商売だからだ。しかしその態度こそが、人々がメディアを信頼できないという姿勢を引き起こしているのかもしれない。テレビやメディアは、自分たちが注目してもらおうと必死になるあまり、どんなことをしているのだろうか。

 

2.どうでもいいことを「大問題」とし人々の心に「不安」や「恐れ」を植え付ける

テレビやメディアは、大したことのないことでも大げさにふるまう。見ている側からすれば心の底からどうでもいいようなことでも、「大問題」だという深刻な空気を醸し出し、大変なトラブルが起きたという大きな不安を人々に植え付けることによって、注目を集めようとする。

思考停止して自分で物事を考えないような種類の人々は、テレビやメディアが「大問題だ」「大事件だ」「大変なことが起こった」となどと言って大げさに騒げば、注目してそれに見入ってしまう。そして人々の心の中には不安や恐れが植え付けられる。地震や感染症など本当に重要な場合でさえ、過剰に深刻に報道することで見る人に必要以上の恐怖と不安を植え付けているように見える。その不安や恐れを解消するためにはどうすればいいのだろうと、人々はテレビやメディアの中にいる偉大だと言われている「コメンテーター」に救いを求める。これで人々をメディアに注目させる作戦は成功だ。

人々はテレビやメディアを見ることによって、自分の不安や恐れが解消されたことに安堵し、やっぱりテレビやメディアを見ていれば安心だという気持ちを抱きがちとなるが、真実は、その不安や恐れ自体がテレビやメディアから植え付けられたものなのだ。例えればあなたを崖から突き落とした人が、崖の底から這い上がるあなたを必死に助けてくれたとしても、あなたはその人に感謝なんかしないだろう。だってその人があなたを崖から突き落とさなければ、あなたは崖から這い上がるという苦労なんてしなくて済むだから、感謝するどころか最初から大迷惑だと憎むべきである。

しかし思考停止した人々は、崖から突き落としてきた人(テレビやメディア)に対してありがたいありがたいと感謝するというトンチンカンな構図が出来上がっている。テレビやメディアが不安や恐れを解消してくれたのではなく、そもそもその不安や恐れを人々へ植え付けたのがテレビやメディアなのだ。自分たちが注目されお金を儲けるためならば、過剰で大げさな報道で人々に不安や恐れや欠乏感を植え付けることさえ厭わない、メディアとはなんとくだらない下品な商売だろうか!

金を儲けるためなら人に恐れや不安や欠乏感や不幸を植え付けてもいいというのは本当か?

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不安や恐れや欠乏感を植え付けられ、世の人々の心は不安定になったり、満たされなくなったり、幸せな状態でも不幸に感じられたりする。また不安的な心はイライラやストレスを生み出し、世の中はギスギスし、他人を憎みがちとなる。それもこれも全て、本来の目的がテレビやメディアが注目され彼らがお金儲けするためだというのなら、なんて迷惑で有害な商売だろう!

 

・中島みゆき「時刻表」

誰が悪いのかを言い当てて
どうすればいいかを書き立てて
評論家やカウンセラーは米を買う

迷える子羊たちは彼らほど賢い者はいないと思う
あとをついてさえ行けば何とかなると思う

「見えることとそれができることは別物だよ」と米を買う

 

3.テレビやメディアは世の中の悪い側面ばかりを垂れ流す

人はいいことよりも悪いことに注目する傾向があるし、いい噂よりも悪い噂の方が人々の間で拡散され広まる可能性が高い。それは人間社会で生きていれば簡単に気づくことのできる人間の本性だ。人間たちはいい噂をしているときよりも、悪い噂をしているときの方が生き生きしているし、目が輝いている。そもそも話題の分量として、いいことよりも悪いことの内容の方が圧倒的に多いのではないか。人々はいい噂を聞いても大した刺激も受けずに自分の中で処理して終了するのに対して、悪い噂の場合は心が不安や怒りでざわめき、誰かに聞いてほしくて話したくて心がウズウズしてしまう傾向がある。

それゆえにテレビやメディアが提供する情報には、悪い噂の方が圧倒的に多く含まれている。人々から注目されること、人々に噂されることによって影響力を保つことが彼らの商売だからそれは必然的なことだ。もしもこの世界に今日いいことと悪いことが同じ量だけ起きていたとしても、テレビやメディアは悪いことばかりを選び取り、悪い情報ばかりを流してくるだろう。いい噂よりも悪い噂の方が視聴者を注目させ、釘付けにする効果があるからだ。いいことが流されているかと思えば、それは金や権力によって買われた芸能人のくだらない宣伝のような場合が非常に多い。

世界には悪いことばかり起きているというのは本当だろうか。テレビやメディアはしきりに悪いニュースばかりを垂れ流し、人々に不安や怒りを植え付け、世の中を暗く重い空気にさせているが、冷静に考えてみれば世の中にはいいことと悪いことが同じくらい起きているものではないだろうか。そんなに悪いことばかり起きていないのは、日常生活において自分の周囲を見つめていれば明らかだ。ちょっと悪いことが起きればそれと同じくらい、ちょっといいことも同時に起きているのが世の中の摂理だ。

それなのにテレビやメディアが自分が注目したいばかりに、悪い情報ばかりを偏って選び取り世の中に流布していることによって、人間の世界はまるで悪いことばかりが引き起こされる悲劇的なステージだという印象を受けてしまう。しかしそれは全くのデタラメだと、世の中が暗く悲劇的に報道されているのは彼らが注目されてお金を稼ぎたいからであって、実は世界は暗い部分ばかりではなく、美しく素晴らしいことだってなんぼでもたくさん数えきれないくらい起きているのだと、自分自身で思考して気がつかなければならない。

このようなテレビやメディアからの洗脳はこれからも止むことなく、延々と行われ植え付けられるだろう。テレビやメディアなんかを信用していると、ぼくたちはとんでもなく暗い時代のとんでもなく不幸な国に生まれてきたのだと、デタラメな情報の偏りに洗脳されたまま一生を終える。自分たちは暗い時代に生まれついた不幸な種類の人間なのだと信じ込み、不幸な気持ちや欠乏感を抱えたまま、下を向いてうなだれた不幸な一生を送ることになる。しかしテレビやメディアから目を離す時間を持ち、自分の人生や実際の日常生活に目を向ければ向けるほどに悟るはずだ。ぼくたちは彼らが洗脳してくるほど、不幸な時代には生まれていないと。そしていくつものささやかな幸せと欠乏など決してしていない全体としての自分自身を取り戻し、自分の人生から間違った不幸や植え付けられた欠乏感を除去することができるようになるだろう。

こんな時代に生まれ生きることが不幸だというのは本当か? 〜迷いと煩悩はあらゆる時代に〜

日本の未来は不安や恐れに満たされて絶望的だというのは本当か? 〜今の時代に必要なのはメディアを無視する能力〜

 

・中島みゆき「噂」

悪いことばかり信じるのね
見たがるのは告白
あなただけは世界中で
刑事じゃないと言ってよ

外は5月の雨 噂の季節
枝のように少しあなたが揺れる

 

4.思考を統一し憎むべき敵を作り出すことで、人々の心を誘導する

テレビやメディアは、必ず人々の間に共通の敵を作ろうとする。みんなで特定の人や組織を憎み、攻撃すれば楽しいし、安心だからだ。テレビやメディアはこの人を非難しろ、この人を攻撃するんだと、その権力を行使して人々の心に働きかけ、催促し、洗脳する。

世の中には様々な意見や見方があり、多角的な観点から見たならば絶対的な悪人、必ず憎むべき敵というのは存在しない。悪人のように見える人にも悪ではない側面は絶対に存在するし、敵のように見えていても実は正義の味方であるというのはいくらでもあり得る。たったひとつの見方だけで、世界を眺めるのは不適当だ。

しかしテレビやメディアは、統一されたたったひとつの見方だけを人々に植え付け、洗脳し、人々の心を誘導する。これこそが世間で「偏向報道」とか「印象操作」と呼ばれるものだ。どうにでも切り取れる世界を、多角的ではなくひとつの側面だけ切り取り、偏狭な視点を人々に植え付け、憎むべき者は誰かを人々の間で統一させ、非難、否定、攻撃させる。人々はテレビやメディアが言うのだからこれを憎むので間違いはないと確信し、安心して批判を生み出す。

人々の心の中に眠っている多方向に拡散されるそれぞれの憎しみをひとつにまとめ上げ、大きなひとつの方向へと向かって攻撃させる。テレビやメディアはたかが媒体(人間と情報の間の仲介人)であるはずなのに、その媒体を曇りや偏りを持たせることによって、人々の心を操るという巨大な権力を得ている。テレビやメディアが指し示す方角は、思考停止した人からすれば優秀な羅針盤のように見えるかもしれないが、それは間違ったデタラメの地図である。

あなたの思想が中立であるというのは本当か? 〜人は誰もが偏っている〜

 

5.思想を植え付けるための「コメンテーター」「芸能人」「街角インタビュー」という道具

人々に不安や恐れを植え付けるために、または共通の憎しみや怒りの感情を発生させるために、利用されているのが「コメンテーター」という人々だ。彼らはまるで偉大であるかのようにテレビの中に座って自らの意見を述べているが、はっきり言って彼らだってどれほど自分自身の考えをきちんと話しているのか疑わしい。彼らはただ、メディアの権力者が人々に植え付けたい思想や考え方に沿って喋っているだけの単なる操り人形ではないだろうか。ぼくには彼らが、メディア権力者の思想を広く世の中に植え付け流布するための、都合のよい拡声器にしか見えない。

コメンテーターがテレビニュースに出演する際には、このような思想で語ってくれという上からの指示があるという。それが自分自身の思想とは全く異なっていたとしても、出演してただ単にお金を稼ぎたい人はいくらでも上の指示に従い、権力者の思想を世の中に広めていくだろう。彼らの発言を重要視し、注意深く聞く価値など本当にあるのだろうか。大人しく従順に上からの偏ったひとつの思想を広く世の中に伝えるだけの機械に、心が影響されてもいいのだろうか。

 

 

同様のことは「芸能人」についても言える。テレビの中では芸能人と呼ばれる人々が、何の専門性もないのにあたかも一般人の代表のような顔をして専門的な話に首を突っ込んでいるが、果たして芸能人は一般人の代わりになるのだろうか。専門的なことは専門的な人々が淡々と情報を伝えてくれればいいのではないだろうか。

芸能人の人が専門的な人に質問することによって、まるで一般人が専門的な人に質問しているような体を装っているが、明らかにそんなはずもなく、芸能人の質問の中にも、またその回答の中にも、メディア側の偏った思想が入り混じっている。芸能人を都合よく操り、都合よく質問させることによって、何も知らない無知な一般人の素朴な疑問に答えるような風景に見せかけておいて、実はただ定まった思想を人々に植え付けようとしているだけである。思想を広めるためにまるで一般人のようなフリをして使われている芸能人という都合のいい単なる道具に、ぼくらの心は果たして影響されるべきだろうか。

「街角インタビュー」などというのも実に怪しい。素朴な一般人を街角で捕まえて意見を言わせることによって、あたかもそれが”世間一般の声”として表現されている。しかしあんなものが世間の声であるはずがない。テレビやメディアが選択し、編集し、支配している時点で「街角インタビュー」だって、単なる組み立てられたメディア側の偏った思想である。メディアという巨大権力の中のひとつの統一された思想なのに、それを一般人に言わせたり自分の思想に都合よく合わせて編集することによって、まるでメディアの思想が世間一般の思想であるかのように思い込ませ、洗脳することができる。あの白々しい「街角インタビュー」に一体どんな価値があるというのだろうか。本物の一般人や民衆の声ならばインターネット上にあふれているので、怪しい「街角インタビュー」など不要である。

芸能人や有名人のことをよく知らなければならないというのは本当か?

 

6.テレビの中の人々はただ単にやかましい

テレビの中の人々は注目を集めるために声が大きくうるさい。自分の人生に関係のない特に好きでもないどうでもいい芸能人と呼ばれる人々が、自分は世の中に受け入れられるべきだという顔をしながらテレビの中で大げさにやかましく騒いでいるのを見せられるのは迷惑だ。

CMなど注目を集めて利益を得るための媒体は特にやかましい傾向にあるが、テレビ番組などで能力の低い芸能人たちが必死にテレビの世界で生き残るために、しがらみに絡まれながら周囲に同調して笑ったり決まり切ったコメントをしているのを見るのもうんざりさせられる。

 

7.テレビやメディアに都合の悪いことは世間でどれだけ話題になっても報道しない

インターネット上では大いに話題になっているのに、テレビやメディアでは全く報道されないという現象はしばしば起きる。また逆に人々の間ではまったく話題にもなっていないのに、「話題」「流行」「大人気」などとゴリ押しして持ち上げられることがよくある。世間の人々が本当に共有している話題とメディアの提供する話題の間のギャップは年々大きくなり、人々は違和感を感じざるを得ない状態だ。

テレビやメディアは自分の思想にとって都合のいいことしか報道しない。世間の有様を提供するのがまさにメディアの媒体としての役割なのに、その世間の有様が自分の求めているものとは異なる場合、自分の都合のいいように選択し切り取ってつなぎ合わせて報道する、もしくは全く報道しないことを選び取るので、世間の人々はもはやテレビやメディアに白けている。インターネットがない場合には自分の都合のいいように切り貼りして嘘を作り上げ報道しても誰もが信じただろうが、インターネットのある今やその嘘を民衆側から簡単に見破られるので、人々は不信感を募らせる一方である。テレビやメディアは、今ではインターネットを使えない年寄りを騙すことしかできずにいるが、騙される老人と騙されない若者の間にもギャップや亀裂が生じていることは注目に値する。

金や権力を駆使され、テレビやメディアが無理矢理に作り出す「話題」「流行」「大人気」などの嘘も今では簡単に見破られ、昔のようにゴリ押しやステマで人々の心を操ることができずにいる。テレビやメディアという権力が弱まり、人々が嘘を見抜きお互いに共有する力を勝ち得たのはいいことだが、それでもなお人々の心はまだまだテレビやメディアに操られがちな状態にあると言えるだろう。

 

8.テレビなどのオールドメディアは世界に中心と格差を作り出す

テレビの中の情報量には地域による差がある。すなわち日本であれば首都東京の情報が他の地域に比べて圧倒的に多い。日本の中心は東京であり、それゆえに日本中の人々が東京のことに興味を持ち、東京のことを知りたがっているだろうとテレビやメディアは思い込んでいるが、はっきり言って東京に住んでいない日本人にとっては東京のことなんてどうでもいい。それなのに自分の住んでいる場所に大して関係のない東京地方のことばかりを聞かされて東京に住んでいない人は白けるし迷惑だろう。

インターネットの情報ならば自分の住んでいる地域の情報を選択することができるが、テレビなどのオールドメディアだと垂れ流された情報をただ受け取るだけなので、どうしても自分の人生に関係のない東京地方の情報ばかりにさらされて意味のない知識を植え付けられそうになる。インターネットは空間における差を消失させ日本を均しているが、テレビなどのオールドメディアは何かを中心とさせながらそこから遠くなればなるほど格下だという誤った古い価値観に縛られている。

 

9.情報に順位をつけ、人々に何が最も大切かを見失わせる

この世には様々な情報やニュースがある。しかしぼくたちがそれぞれ別の人間である以上、自分にとって重要なニュースはそれぞれに異なっているはずだ。しかしテレビやメディアはこの世のニュースに順序をつけ、何が最も重要かを決めつけてから人々のもとに情報を届ける。重要だと決めつけられたニュースは、テレビではトップニュースとなり、新聞では一面となり、インターネットニュースでは一番上に出てくる。

しかし自分にとって重要なニュースは、本来なら自分自身で決めるべきだ。世間の人々はテレビやメディアの決めつけに従い、テレビやメディアがトップニュースだと教えてくれるものが一番重要な情報に決まっていると思考停止して思い込んでいるけれど、テレビやメディアが一番重要だとして流してくるニュースは、彼らが最も重要だと”人々に思い込ませたい”ニュースであるというだけで、自分にとっての本当のトップニュースであるとは決して限らない。

インターネットのニュースなら自分に不要な情報は無視して、必要なものだけを選び取ることができるが、テレビやラジオや新聞だと、テレビやメディアが決めつけたニュースの順位に支配されてしまう。自分にとって本当に重要な情報を見失い、誰もが重要だと思っている情報を自分にとっても重要だと勘違いしてしまうのだ。そして人々は自分が本当に知りたい情報を、日毎にこぼれ落としてしまう、次第に自分にとって何が大切で何が重要だったのか忘れてしまう。そして思考停止し、テレビやメディアが教えてれくれるものが本当に重要な情報だと思い込んでしまうのだ。

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しかし自分にとって重要な尊い情報は、自分の中だけで大切に育まれているのであり、決してテレビやメディアから流れてくる決めつけの情報から見出せるものではない。必要なのは巨大な権力から垂れ流される受動的な情報を無視して、自分にとって最も重要な情報を心の中ではっきりと見出し、人生の中でそれに向かって能動的に模索する姿勢だ。巨大権力から流れてくる情報は、あなたにとってどうでもいいニュースであり、あなたの目を曇らせ、何のために生きているのかを見失わせるだけである。

 

 

・金と権力はテレビからインターネットに移行しつつある

テレビやメディアというものはかなり影響力のある巨大な権力で、それを掌握し上手にコントロールすることで国民の思想を都合よく操っていた勢力も数多く存在することだろう。しかしインターネットの台頭により、テレビやメディアが次第に力を失ってきている。これはぼくたちにとっていいチャンスではないだろうか。テレビやメディアがぼくたちにこれまで植え付けてきた間違った恐れや不安から解き放たれ、何が正しくて何が間違っているのかを見直す絶好の機会となり得る。

しかしテレビやメディアが力を失ってきていると同時に、金や権力が注ぎ込まれる先もインターネットに移行していることをひしひしと感じる。テレビではなくインターネット上で影響力をある人に金を与え、裏で多くのステマを引き起こしていることだろう。ぼくたちはもはやインターネット上の声でさえ、素朴な民衆の声だと素直に受け止めず、本当に金や権力の息のかかっていない純粋な情報か見極める能力を求められている。

 

 

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