感動回「オラの心はエリートだゾ」を徹底解説!しんのすけと風間君は深い友情で結ばれているというのは本当か?
・クレヨンしんちゃんは基本的におバカなアニメ
・「オラの心はエリートだゾ」は泣ける感動回!
・「オラの心はエリートだゾ」のあらすじ
・しんのすけと風間君は深い友情で結ばれているというのは本当か?
・勉強のできる子は性格が悪いというのは本当か?
目次
・クレヨンしんちゃんは基本的におバカなアニメ
クレヨンしんちゃんはおバカなアニメだ。ゾウさんやケツだけ星人などの信じられないほどユニークな下ネタを展開したり、幼稚園児なのにお姉さんが大好きだったり、親を呼び捨てにしたり、周囲の大人に従わないで状況をめちゃくちゃにしたり、とにかく破天荒で非常識でおバカな内容だが、実際のところ子供達はそのようなおバカな話が大好きだし、ぼくも小さい頃からクレヨンしんちゃんが大好きだった。クレヨンしんちゃんには秩序立って整然として停滞した世の中を破壊し、次々に新しいものを再生させてくれるような、幼児的で野生的で根源的なエネルギーを感じ、それが幼児だったぼくの感性にも共鳴したのだった。
誰もが知っている通り、クレヨンしんちゃんは基本おバカなストーリーのみで構成されている。しかしそんな中でも感慨深かったり感動的だったりするストーリーがほんのちょっとでも含まれているということを、きちんと知っている人はどれくらいいるのだろうか。大量のおバカなストーリーの中から、希少な宝石のように光り輝くクレヨンしんちゃんの感動的名作を探し出すのも、また趣深い楽しみである。
・「オラの心はエリートだゾ」は泣ける感動回!
ぼくが特に心に残っているクレヨンしんちゃんの感動回は「オラの心はエリートだゾ」という物語だ。しんのすけと風間くんの厚い友情を表現した物語は、「風間君とお別れだゾ」などがあるが、この「オラの心はエリートだゾ」もそれに勝るとも劣らない2人の揺るぎない友情が確認できる。
・「オラの心はエリートだゾ」のあらすじ
「オラの心はエリートだゾ」のあらすじは次のようなものだった。
冒頭では、風間くんと風間くんが通っている進学塾の友達3人が会話している場面から物語は始まる。4人は「目標は世界に通用するエリートになること」「小学校受験はその第一関門!全員で突破しよう!」「そうさ、ぼくはみんなとエリート街道を突き進むんだ!」という、幼稚園時らしからぬ高次元でエリートな会話を展開している。そんな4人の目の前に、およそエリートという言葉からは程遠いしんのすけがいきなりウンコの着ぐるみを着て登場する。
「風間くんこんな子と友達なの?!」と問い詰めるエリートな友達に、風間くんは「まさか!友達なんかじゃない!」と突き放すが、しんのすけは顔を赤らめ「そう、友達なんかじゃない。オラたちはそれ以上の関係だもんね」と照れると、風間くんもつられて「そう、ぼくらはお互いの体のほくろの数まで知り尽くして…いるわけないだろ!!!」と自らノリツッコミしてしまう。エリートな友達はしんのすけに「風間くんにつきまとうのはやめなさいよ!風間くんはね、あなたみたいな下品な子と違って、名門私立小学校へ行くエリートなのよ!」と風間くんをかばう。風間くんもそれにつられて「本当に下品で参るよ!」としんのすけに冷たい態度を取ってしまう。
その日の夜、勉強の合間に5個のプリンを夜食として食べてしまった風間くん。しかしそのせいで腹痛を起こし、実力テストでも普段の実力を発揮できないまま、いつもの成績上位から転落してしまう。
そのせいでエリートな友達からも「いつも成績上位の君があんなひどい順位になるなんて、正直がっかりよ!」「どうやら君は、ぼくたちと住む世界が違うようだ。今後一切、ぼくらに話しかけないでくれよ」と見放されてしまう。さらに悪いことには4人で会話中に激しい腹痛が襲来し、風間くんはエリートな友達の前でウンコを漏らしてしまう。「うわー漏らしたぞ!」「信じられない、行きましょう!」とエリートな友達はドン引きして一目散に逃げ出してしまい、風間くんは絶望する。まさに昨日しんのすけが着ていたウンコの着ぐるみの伏線が、ここへ来て回収されたかのような悲惨な展開だ。
漏らしたまま家へ帰る途中の風間くんは、買い物途中のしんのすけとみさえに偶然出会う。匂いで風間くんがお漏らししたことに気づいたにもかかわらず、しんのすけとみさえは何も指摘せずに家へ招き入れ、お風呂へ入れてあげて、服を貸してあげる。その優しさに風間くんは、しんのすけに冷たくした昨日の自らのふるまいを反省し「昨日はひどいことを言ってごめん」と謝るが、しんのすけは昨日のことは綺麗さっぱり忘れていてなんのことかわからなかった。そして2人はいつも通り、明日遊ぶことを約束したのだった。
・しんのすけと風間君は深い友情で結ばれているというのは本当か?
最後の場面では、明日遊ぶ約束を交わした時に風間くんの目に涙が浮かんでいたことが印象的だ。元から友達のしんのすけと風間くんにとって、次の日に遊ぶ約束をするのは当たり前のことのように思われる。しかしこの時の風間くんにとっては、つい冷たく接してしまっても、お漏らししたことを知られてしまっても、普段通りにふるまってくれるしんのすけのマイペースな優しさに心を洗われていたように見受けられる。
それは塾のエリートな友達たちが、成績や順位で簡単に昨日とは違う態度を取ったり、急に人を見下したりする態度とは対照的だ。しんのすけは確かに下品だが、成績や順位で簡単に友達を裁いたり見下したりしないところが、まさに人間として模範的だ。本当に人間として重要なことは成績や順位なんかに関わらず友達を思う心であり、ひどいことをされてもお漏らしして失敗しても変わらずに今までのように付き合う寛容さを持ち合わせているという点から、しんのすけの心はまさにエリートであり、そこからこの物語の題名は「オラの心はエリートだゾ」となったのだろう。
「オラの心はエリートだゾ」はまさに、いつも喧嘩ばかりしているしんのすけと風間くんの友情の深さが垣間見える名作だと言えるだろう。
・勉強のできる子は性格が悪いというのは本当か?
しかし気になったのはエリート街道を突き進む友達の性格の悪さだ。この3人のエリートな友達たちは、しんのすけの心がエリートであることを表現するための言わば出汁のような存在であり、しんのすけの性格がよくて心がエリートに見えるように、しんのすけとは対照的にわざとものすごく性格が悪く描かれている。
このアニメを見た子供たちは、やっぱり勉強だけやっているような子は性格が悪くて人を見下しがちなんだ、勉強ができる子って冷たくて陰湿なんだという印象を受け取りがちになるだろう。しかしそれでは一生懸命に勉強を頑張っている子友達がかわいそうではないだろうか。勉強ができる子供の中にも、エリートな子供の中にも、もちろん性格がいい子はたくさんいるし、お漏らしした風間くんに、しんのすけのように手を差し伸べてあげるような優しい子もいるはずだ。
これは人間社会でも起こりがちが現象だが、学生というのは学問を修めるのが本分だと見なされている以上、どうしても勉強のできない若い人々は勉強ができないことにコンプレックスを持ち、勉強のできる友達を妬んだり僻みがちになる。勉強を頑張っている子に対して「ガリ勉」などと見下す用語が発明されているのはその典型例だろう。勉強ができない子は、どうにかして勉強ができる子の悪いところを見付け出したいし、見下したいのだ。しかしそんな悪あがきの努力をしたところで、自分が勉強ができないという事実が変わるわけでもないので、自分の心をごまなして慰めるだけの不憫な徒労に終わることだろう。
この「オラの心はエリートだゾ」でも、勉強ができる子に悪いイメージをつけたい、勉強を頑張っている子を見下したいというような潜在的な欲求が見て取れる。重要なことは勉強ができても優しい子もいっぱいいるよときちんと見ている子供達に伝えることではないだろか。この物語を見たせいで、勉強を頑張っている子供はやっぱり性格が悪いと見ている子供たちが洗脳されて思い込んでしまったら、それはアニメを見た悪影響だと言えるだろう。
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