昔のクレヨンしんちゃんには、子供には理解できない場面がいっぱい!!!!!
みさえとひろしのプロレスごっこ名場面!赤ちゃんの作り方を子供に教えるべきではないというのは本当か?
・赤ちゃんがどうやったらできるのか子供達は何も知らない
・クレヨンしんちゃんで予感される生命誕生の秘密
・みさえとひろしのプロレスごっこまで映し出される「食あたりはつらいゾ」
・どうやったら赤ちゃんができるかを子供が知ってはいけないというのは本当か?
目次
・赤ちゃんがどうやったらできるのか子供達は何も知らない
ぼくたちは子供の頃、赤ちゃんがどうすればできるのか、その生命誕生の真実をまだよく知らない。お母さんやお父さんや他の大人たちに「赤ちゃんってどうすればできるの?」と純粋に尋ねても、適当にはぐらかされて終わるだけである。自分の生命の誕生の根幹にある物語に向き合うことをゆるされずに、子供たちは自分の生命が何となくうやむやな謎に包まれたような、霧に閉ざされた不思議な秘密の世界をさまような感覚を覚えつつも、この世の中でたくましく成長していく。
やがて第二次性徴期にさしかかる頃、ぼくたちは突如として生命誕生の最大の秘密を聞かされる。どうやったら赤ちゃんができるのかの真実を知ってしまった時の、子供の反応は様々だ。「まさかそんなことが行われているなんて」とやっと秘密を知れて大人になったような気分になり興奮する子供もいれば、「自分の親や周囲の大人たちがそんなことをしているわけがない」と呆然とする子供もいるし、「きたない」「気持ち悪い」とネガティブな感情を持つ子供もいるという。
ぼくはといえば生命誕生の最大の秘密を知ってしまった時、ショックと言うよりは「やっぱりそうだったのか!」というような気持ちだった。なんだかモヤモヤとした霧が晴れて、視界が明るくなったような感覚だった。少なくとも「きたない」「気持ち悪い」「信じられない」というようなマイナスの感情を持つことは一切なかった。
それはぼくが、赤ちゃんができる秘密について、それまでの人生で何となく”恥ずかしげなことが起きている”と密かに予感していたからである。その予感があったからこそ、ぼくはどうやったら赤ちゃんができるのか、その営みについて全く拒否反応を示さずに、心の中へ、そして自分の中に眠る野生の感覚の中へ、その真実を滞りなく受け入れることができたのだ。ぼくにとって重要なのはその「予感」だった。その予感はどのようにして培われたものだったのか。ぼくはその予感を育んでくれたものは「クレヨンしんちゃん」だったと自覚している。
・クレヨンしんちゃんで予感される生命誕生の秘密
アニメクレヨンしんちゃんは子供たちにとって大いなる謎だった。普段は「ゾウさん」や「ケツだけ星人」などのくだらないギャグで笑わせてくれるだけなのだが、たまに子供には全く理解不可能な大人たちの反応が見受けられるのだ。ぼくにはそれがとても不思議だった。
たとえばしんのすけたち家族がおケイおばさんの家に遊びに行く「新婚さんちへ行くゾ」という回では、新婚のおケイおばさんの家のベッドが巨大だったことに関してしんのすけが「どうしてこのベッドはこんなに大きいの?」と大人たちに尋ねる。ひろしは「つまりこれは2人用だからだよ」と答える。するとしんのすけは「おー2人用!なんで2人用なの?」と純粋に尋ねる。すると周囲にいたみさえ、ひろし、おケイおばさんのみんなが顔を赤らめて、話をはぐらかそうとするのだ。
今ならこの場面がどういう意味なのか明白にわかるが、子供の時は全くもって意味不明だった。なんでみんな顔を赤くしているのか、なんでみんな恥ずかしそうにしているのか、なんでみんな話をはぐらかそうとしているのか、本当に理解できないことだらけで誰もそれを説明してくれないことに大きな不満を抱いていた!しかしそれを見ている子供たちは子供ながらに、これは大人にも聞いてはいけないことなのだと直感で察していたから、親に聞くこともなかった。しかし何か大人には子供に言えない大きな秘密が隠されていることは間違いないと、子供達はクレヨンしんちゃんを見るたびに徐々に気がついていくのである。
・みさえとひろしのプロレスごっこまで映し出される「食あたりはつらいゾ」
その他にもクレヨンしんちゃんには生命誕生の秘密を予感させる場面がたくさんあって挙げればキリがないが、その中でも大人の秘密が最も如実な形で暴露されそうになっている衝撃的な作品が「食あたりはつらいゾ」という回だ。タイトルだけだと全く大人の秘密に関係なさそうに聞こえるが、なんとこの「食あたりはつらいゾ」では人間の夜の営みの秘密が隠すことはなく明確に描かれ、ひろしが下着姿のみさえに遅いかかるシーンまで克明に描かれるという、もはや子供用に作る気全くないやろ!とツッコミをいれたくなるような奇妙な力作である。
最初の場面では、ひろしが仕事にかなり疲れて帰ってくる。疲労で早く寝たいと願っていたひろしを家で待ち構えていたのは、なんとセクシーな下着に身を包み挑発的な瞳で「今夜どう?」とシークレットサインを出すみさえの姿だった。ひろしは内心疲れていたが、断ると後が怖いからという理由で「OK!」と男らしく夜の営みの誘いを受け入れる。
その後の晩酌の部分で見らえる夫婦のイチャイチャの部分は実に微笑ましく、このように男女が仲良くやっていくから子供が生まれ国が繁栄していくのだと、人類の歴史に思いを馳せずにはいられない。ひろしはマムシドリンクを飲みやる気十分だ。
やがて獣の目つきになったひろしはランジェリー姿のみさえに襲いかかり、さぁここから夜の営み、クレヨンしんちゃん楓に言うと「プロレスごっこ」が始まるというときにさっき晩酌で食べた明太子で2人とも気持ちが悪くなり、結局争いながらも2人でトイレに直行するのだった。
大人が見たらなるほどと思うこの「食あたりはつらいゾ」も、子供にとっては実に意味不明で、夜の営みの風景が具体的になればなるほどその先の展開は全く予想できず、真実は闇に閉ざされ世界は秘密の濃霧を発生させるのだった。
・どうやったら赤ちゃんができるかを子供が知ってはいけないというのは本当か?
最近は鬼滅の刃の新作で「遊郭」という風俗街のことをどうやって子供に説明したらいいのかと怒る大人が出現しているという。生命誕生の秘密を予感させる「遊郭」の物語なんて、子供に見せるべきではないと怒り狂っているというのだ。しかしクレヨンしんちゃんを子供の頃からよく見ていたぼくの意見では、子供達にはきちんと生命誕生の秘密を「予感」させる作品を見せておくべきである。
どうせ子供たちは生命誕生の秘密を、否が応でもこの先の人生で知らずにはいられないのだ。その決定的で最大の秘密が暴露されてしまった時に、あまりにも野生的で原始的で人間もたかが動物の一部なんだと思わざるを得ない真実に直面してしまった時に、子供たちの心の中にそれまでの人生で培ってきた「予感」があるかないかで、どれほどその秘密の受け入れやすさが変わってくることだろうか!
生命誕生の秘密には何か恥ずかしいことが隠されているに違いない、何かいやらしい破廉恥な出来事が潜んでいるに違いない、そんな風にきちんと準備段階で「予感」を育ませておかないと、真空パックで清潔に保たれた子供の清浄な心にいきなり野生的な生命誕生の秘密をブチ込むと、子供達はショックで立ち上がれなくなってしまうのではないだろうか。重要なのは全てを知ることはできなくても、そこはかとなく事前に「予感」することなのだ。子供時代にたくさんの明確ではないあやふやな「予感」にさらされることでその真実をいざ知った時に、今までずっと隠され続けてきたこの秘密をやっと知ることができたのだと、スッキリと朗らかで心地よい気分になれるに違いない。「予感」というきちんとした準備があればこそ、子供達はその最大の秘密をすんなりと受け入れ、自らが生命を誕生させるという尊い大切なプロセスへと、明るい気持ちを持って前向きに歩んでいくことができるのだ。
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